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被災地を訪ねて

(少し時間が経っていますが、訪問直後の7月5日に教育人間塾のメーリングリストに書いた文章です。)


 6月30日から7月3日まで、元ゼミ生で仙台出身のNさんと二人で被災地に行ってきました。Nさんは、クルマのトランクに町内会からの救援物資をたくさん積んで行き、今週の日曜に報告会をするそうです。僕の方は、まだまとまっていないのですが、とりあえず思い出すままに書いてみます。


(1)青函連絡船後初体験の大型フェリー(行きも帰りもたいへん快適でした)で30日午後7時に苫小牧を出発し、1日午前10時に仙台港に着きました。仙台港は、ところどころがれきが残っていましたが、ほぼ復旧し、ごくふつうの港の姿を見せていました。

 そこから、終始Nさんの運転で、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡と一日かけて走りました。それぞれの街にじっくりと止まってがれきの山や崩壊した街並みなどを見ました。

 クルマを走らせているうちにそこここに見えてきたがれきの山は、写真やテレビの映像の通りすさまじいものです。市街地だけでなく、道路が少し低地に行くと、農地や小さな居住地に津波が襲ったあとが現れます。家が大きく傾いていたり、骨組みだけ残ってあとはめちゃくちゃに破壊されていたり、大きな木の株がごろんと横たわっていたり。 流し台、窓枠、畳、布団など雑多なものがごっちゃになってあちこちに散乱しています。津波の猛烈な破壊力は驚くばかりです。大きなビルのコンクリートや鉄骨がぐちゃぐにゃになっています。途中、4階建ての大きな病院が3階まで外枠だけ残して破壊され尽くしたのを遠くから見ました。

 海岸に近いところを走ったのですが、道路は高低差のある山道で、海岸に山と森が迫っています。ちょっと異様に見えたのは、林立している杉林のなかに、無残に赤茶けた木立がたくさんあったことです。あとで地元の作業員らしき人に聞くと、やはり津波が襲って海水で枯れかかっているのだろうとのことでした。 ただ、道路沿いに点在している家並みも、一部は津波にやられ無残な姿になっているのに、すぐ近く(5,6メートル)で高さが違うところの家は無傷のままという状況は、実際に現地で見てはじめてわかりました。これは石巻付近から大船渡までどこでもほぼ同じで、このちょっとした位置の違いからくる被害の大小の差について、Nさんは、しきりに、住民の意識の差となりコミュニティ意識に難しい問題を生んでいるだろうと懸念していました。


(2)最初に降りた街は南三陸町。小さな入り江に集中的に形成された小さな町ですが、周りから山々で隔てられているせいか、最も復旧が遅れている感じで、まだ街全体ががれきの海です。

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 ここは、天皇皇后が訪ね、小高い丘からその全体を見て、長く黙礼をしたところです。で、われわれも、多分両陛下が訪ねたと思われる丘、志津川小学校の校庭に立ってみました。街全体がまだ津波のあとそのままのようで、陸近くにある水門は残っていますが、それに連なってあったはずの防潮堤は跡形もなく消えています。ここは、住宅はもちろん役場も銀行も、あらゆる施設が破壊されたままです。かろうじて、2,3のコンクリートのビルが柱だけを残しています。まさに絶句する以外にない光景です。 がれきの処理は、何とか道路を開けたくらいであまり進んでいません。なぜもっと早くせめてがれきの処理をしないのか、との思いを強くしましたが、少し考えると、ここは街のすぐ近くに山が迫っており、かつそこには適切な平地がうまくありそうもありません。つまり、街ごと高地に移住し新しく街を作るにしても、ことはそう簡単ではないのでしょう。で、がれき処理も手がつかないのかもしれません。


(3)次は、一番大きな漁港、気仙沼です。街なかを歩いてみました。ここも至るところがれきの山。まだまだ作業は進んでいません。巨大な漁船が街のどまん中に押し流されたまま無残な姿をさらしています。

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 大きな街だったせいか、がれきにも人々の生活の跡が埋もれています。めちゃくちゃにつぶれた自家用車の上に、風呂敷でくるまれた女性の着物のようなものがそっと置いてありました。きっとこの3ヶ月の間、こうしたがれきのなかを、多くのひとが泣きながら家族を捜し歩いていたのでしょう。ひょっとして、捜しあぐねて家族の大好きな着物をたたんであえてこのクルマの残骸に置いたのかもしれません。

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 ここは、大きな魚港で、つい最近初かつおを水揚げしたとの報道がありましたが、たしかに港には、錆びついた廃船の横に、きれいな大型漁船も横づけされています。北海道などの漁業仲間が漁船を気仙沼の漁民に贈ったという記事を思い出しました。

 また、大型がれきの山のすぐそばの繁華街らしきところは、木造の食堂や商店がなんとか骨格を留めているのもけっこうあり、人の匂いもします。どうもぼちぼち商売を再開しようという動きもあるように見えました。街全体が破壊された南三陸と違って、ここはまだ街が生きており、地元の人たちも活気を戻しつつある感じがしました。でも、大量のがれきの処理はたいへんで、おそらく数年以上かかるのではと思います。それと、おそらく地元の人たちは、元の街をそのまま再生させたいという強い願望を持ち、高台移転は言うは易し行うは難しだなと感じました。


(4)気仙沼からの途中の道だったでしょうか、道路脇でがれき撤去の作業をしていた人と少し話しました。がれき処理はまだまだたいへんですね、という僕の話に、彼は、実は今日(7月1日)から自衛隊が大幅に派遣を縮小し、がれき処理からは撤退する、雇用確保のことがありそれは地元の要請でもあるようだ、しかし自衛隊の撤退には賛否ある、と話していました。

 これは、今回の訪問で一番わからない謎です。各地方のがれきの実際を見ると、素人目でも、その作業はとてもボランティアなどではできる作業ではなく、強力な重機でもってその道のプロが集中的にやらなければどうにもならないと強く感じたのですが、それを誰がどうやっているのかがはっきり見えないのです。たしかに次の陸前高田ではかなり作業が進んでいるようでした。陸前高田は、訪ねた街のなかでは最も広い平地があり、作業がやりやすいこともあるのでしょうが、なんとか、金属類、木材類などとがれきの山が整理されつつあり、またブルドーザーもある程度の数動いていました。自治体ごとの力量、方針の違いもあるのかもしれません。それと、南三陸のように、それぞれ復興の全体構想の問題があるのでしょう。それに、政府の対応の遅れが重なっていると言えるのでしょう。それにしても、地元雇用のためというのがわかりません。がれき処理で確保される雇用はごく特殊な職種で、地域の人たちの全体的な生活再建にどれほど効果があるのでしょうか。疑問です。

 陸前高田は、見晴らしのいい、広い平坦な港町で、周りの風景も見事です。もともと津波の被害がなんどもあったせいか、海のすぐそばに、数万本の松林が津波防御を兼ねて海浜公園をつくっていたそうです。その松がほぼ全滅し、一本だけ奇跡のように残っています。これをまじかに見ました。遠くからこの風景を見ると、平らながれきの平地に、すっくと一本だけたくましく松が立っているように見え、この松がなにか神々しくさえ思えるのですが、近くで見ると、この松もかなり弱っており、幹をていねいに保護のため布で覆っています。この先生き延びることができるかどうか厳しい状況でしょう。

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(5)最後は大船渡です。ここは、三陸海岸のなかでもまさにリアス式で、湾が入り組んでいるところです。狭い入り江が深く入り込んだところが漁港になっています。

 ここには、元のゼミ生Tさんが、小学校教師をしているご主人、そのご両親と一緒に住んでいます。彼女は(幼稚園保母ですが今は育児休暇中)、1歳3ヶ月の赤ちゃんを連れて、震災3日後に盛岡内陸部の実家に疎開していたのですが、前々日に電話をすると、ちょうど先週から大船渡に戻ったところとのこと。彼女とボランティアセンターのある町の施設で待ち合わせました。Nさんは、小樽から積んできた救援物資をここのボランティアセンターで引き渡しました。

 久しぶりの再会を喜び、いろいろ話を聞きました。そして、ご主人が勤めている山の手にある小学校をまず訪問。古く大きな学校で、かなり高い山の上にあり無傷だったとのこと。しかし、体育館はいまも避難所になっており数10人がいる、また校庭には仮設住宅も並んでいました。そこからさらに、せっかくだからと、大船渡市街からクルマで20分のご自宅までうかがいました。ご両親、ご主人からも少しお話を聞きました。

 大船渡から彼女の自宅のある街までは、リアス式海岸の曲がりくねった山道です。周りは深い森。標高が高いせいか、このあたりはほとんど津波の被害はなさそうです。夕暮れの山道を海岸沿いに走りながら、今回の災害がなければ、変化に富んだ、山も海もある素晴らしいところなんだろうなと想像しました。

 彼女の住んでいる小さな街、越喜来町は、リアス式の入り江にできたこじんまりした街並み。ここはやはり津波にがっちり襲われました。一緒に、海のすぐそばにある小学校を少し離れたところから見ました。ここは、地震後50分で津波が襲ってきたそうです。でも、津波の1週間前に完成していた、学校裏の避難道を使って子どもらを誘導した結果、一人も犠牲者が出なかったとか。ここも、水門両側の防潮堤は全部破壊されていました。この学校は形は残っていますが、廃校が決まり、子どもも先生も町内の別の学校に移ったそうです。

 実家を短時間訪ねたあと、夫婦が外まで送ってくれて、ちょっとだけ津波当日のことを聞きました。彼女は、赤ちゃんと一緒に育児センターにいたそうです。そこは早めに津波が来て、慌ててクルマで山際にある実家の方に逃げたそうですが、もう道路は陥没などしてひどい状態で、やっとのこと避難所に逃げられたとのこと。一瞬ミスをすると波に飲まれたかもしれないような状態だったようです。他方、ご主人は、学校が高台にあり安全だったのですが、すぐ避難所になり、その手伝いで夜12時過ぎまで身動きができなかったとのこと。その間、携帯もなにも使えなく、家族がどうなっているのかはまったくわからないまま。ようやく動けるようになって、これまた寸断された真夜中の道路を、長時間かけてようやく自宅にたどりついたそうで、玄関に「避難所にいます」という張り紙を見てかけつけて、互いの無事をようやく確かめたとのことでした。二人の話を聞きながら、赤ちゃんを抱いて逃げたとき怖かっただろうね、互いに連絡をとれなかった間どんなにか不安だっただろうねと聞きましたが、二人はその時のことを思い出すような表情で、「ええ」と頷いていました。


(6)すっかり夜も暮れて、大船渡を離れ、途中のレストランで宿を探しました。近所のホテルは、仮設住宅建設や作業で長期間泊まっている客でどこも満員。しかし、Nさんは、国内外で添乗員をやっていた人で、慣れたもので、うまくレストランの店員から聞き、ここなら空いているかもしれないというホテルを探し出しiPhoneから電話すると、幸運にも一部屋だけく空いているとのこと。ラッキーでした。なるほど、宿は種々の作業に携わっている会社関係の人たちで一杯でした(なおフェリーでも北海道から電気や電話回線復旧の応援に行くNTTや北電関係の人たちがかなりいました)。宿は行き当たりばったりでも大丈夫だろうと思い込んでいましたが、なるほど、こういうときはかえって旅行客でない人たちが利用するのですね。

 ホテルでゆっくりと休み、翌日は、まっすぐ仙台市内までクルマで走りました。で、Nさんは、病気のお母さんの見舞いに、僕は、大学時代の後輩の夫妻(ご主人は画家、奥さんは元教育大家庭科教育学教授)と会うことに。彼らは自宅は高台で大丈夫だったが、周りの家や公園はかなりの被害で、ご夫婦とも、震災と原発について深く考えるところがあり、これからの日本のあり方などについていろいろ語り合いました。


(7)と、経過を追ってそのまま見聞を書きました。最後にひとつだけ、いまの思いを。


 今回の旅で見たものは、テレビや新聞で散々見た光景とそう違ったものではありません。また、僅かな時間でしたし、地元の人たちからじっくり話を聞けたわけではありません。なにか役立つお手伝いをしてきたわけでもありません。

 で、何が自分に残ったか。ひとことでいえば、すさまじいまでの「喪失感(ふるさとと街、家族、家や会社や仕事など)への自己同化」の体験だったのかもしれないということです。とくに自分の街そのもの、ふるさとを失うということの重さは想像を絶します。それをいわば、身体で感じとったということでしょう。もし札幌市全体ががれきの山に化してしまったら・・・。そのとき自分の心に残るのはなんだろう。しかも同時に家族も家も仕事も失ったら・・・。

 今回の大震災は、南三陸や気仙沼など東北の喪失だけではないでしょう。日本国がなにかを失ったのです。南三陸の誰かが何かを失ったということは、僕自身が何かを失ったことなのです。実際に現地を目にして、僕の「想像力」として脳髄に残ったもの・・・それはこういう「喪失」の思いでした。もちろんそのことは、絶望することではありません。10年後あるいは5年後、復興した東北をもう一度見に行きたいと思っています。おそらく見事に再生しているでしょう。

 しかしそれは、絵に描いた餅をあれこれ言うのではなく、「喪失」の思いから辛うじて手にする「希望」を通してしかまっとうしないでしょう。「喪失」と「希望」に橋を架ける「想像力」を手がかりに、自分の思いを持続していきたいと考えています。

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Tag:その他 

プロフィール

村山紀昭

Author:村山紀昭
長い間、北海道教育大学で哲学を教え、1999年から私大を含めて10年間学長をつとめました。
退職後、教育と福沢に関する月1回の勉強会「教育人間塾」を続けるとともに、文科省の委員会委員や北海道教育委員会のアドバイザーとして、教育政策とくに教師教育政策に関わってきました。
平成26年4月からはフリーなスタンスで教育や福沢について思索する日々です。
趣味は音楽とオーディオ、クラシックと初期ジャズが好き。

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