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教員の資質能力向上のためにー修士レベル化の可能性(下)

4 一般免許=修士レベル化とは


1)今回の修士レベル化の議論に関して、未だに「ただ修士化しても教員の資質能力向上には役立たない」「教師志望者が激減する」という意見が多く出されます。これは、そもそもの中教審への諮問の段階で、5年ないし6年の養成期間の延長による修士化が方向性として一斉に報道されたことも影響しています。
 しかし中教審特別部会での議論は、養成期間の延長による単純な修士レベル化を基本方向として行われてはいません。すでに述べたように、教師の成長過程の中で、基礎免許=学部教員養成に続く一ステップとして検討されているのです。


 教師になるための基礎的な教育として、まずは知識として学ばなければならないことが多くなってきています。教科の深い知識だけでなく、教育の基本原理、世界と日本の教育の歴史と現状、学習理論、教授法、さらには環境やジェンダー、国際理解、 ICT、発達障害、不登校など、その基本的なところは大学できちんと学ばなければなりません。これらは、大雑把に言って20年前くらいと比べても格段の違いです。またそもそも教職は何といっても「知的」な専門職です。


 同時に教育の仕事は、目の前の子どもたちとの関わりの実際場面ではじめて機能する実践的な行為であり、その技能と力量は教育の現場での実践的な活動を通して磨かれる面が強いものです。教科書が同じであっても実際に教室で向き合う子どもたちは、年によっても違いますし同じクラスであっても日々その反応は異なります。これに直接一般的な教え方の知識を応用することは非常に難しい。日々の実践経験から言わば体に染み込ませるようにして身につけて得られるのが教師の技能です。この点で医師や弁護士など専門的知識の蓄積を実践場面で基本的に合理的・技術的に適用可能な専門職とは、やや位相を異にしています。


 この両面、知的側面と実践的側面とを教師の成長プロセスと養成・採用・研修の仕組みの中でどう適切に組み合わせるかに資質能力向上策のポイントがあります。
 これまで、大学では一般的知識、実際の力は現場に入ってからというのが暗黙の了解で、実際のところそれで何とか保っていたのも事実です。しかし知識基盤社会のいま、知の面でも実践の面でも課題はあまりにも多く、到底それでは済まなくなってきているのです。


2)この10数年、こうした課題の認識から、多くの大学の教職課程、とくに国立の教員養成大学・学部で、1年次から学校に入り子どもの学習支援をしたり4年間の実習時間を大幅に増やすなどの努力が続けられています。しかしそれだけでは体験的知識の強化にはなっても、教師としての専門的技量の獲得にはなりません。それには、一定の期間、当事者意識をもって系統的に自分の実践を吟味するような時期が必要だからです。
 そこで、1年ないし2年間ほど、当事者意識をもって実際の学校現場を基礎に行われる系統的で高度な技量形成の期間が必要でしょう。これを学部における教師の「基礎的資格」の形成と区別して、自立した教師の「公証」として新たに設定しようというのが「一般免許=修士レベル化」です。


3) このような専門職としての技量の形成の仕組みは、欧米ではこの20年くらい職能開発ないし職能訓練として広く行われています。
 アメリカでは、入職後の多様な研修による免許更新・上進制とともに、PDS (Professional Development School) が学校の実際と課題に即した資質能力向上のための実習・職能開発システムとして位置づけられていますし、イギリス、ドイツ、フランス、カナダ、オランダなどでは、それぞれ性格は違いますが一般学部卒業後1年から2年の教師訓練コースが教員養成で重要な役割を果たしています。


 それらは多くの場合、learning by doing をモットーに、学校現場を基礎とした理論と実践の往還(理論→実践→省察→実践・・・)による資質能力の獲得・向上をめざしたもので、理論の応用としてだけでは困難な、教師の専門職としての技量を確立する方法としてほぼ確立されたものになってきていると言えるでしょう。
※その具体的なコース内容は、例えばオランダ・ユトレヒト大学のフレット・コルトハーヘン著『教師教育学ー理論と実践をつなぐリアリスティックアプローチ』学文社、2010年を参照。


 日本では、こうした流れを踏まえながら、専門職大学院(プロフェッショナルスクール)のひとつとして平成20年から教職大学院がつくられ、理論と実践の融合を基本理念に、研究者教員と実務家教員とのTT などによる協働の教育、指定協力校による学校現場との密接な連携、フィールドにおけるケーススタディ重視など従来にない教員養成の仕組みを展開しつつあります。


※上記の欧米のPDSや教師訓練コースは学位課程ではありませんが、近年フランスやドイツでも内容の充実のため学位化=修士化の方向に進みつつあります。ただ修士化といってもヨーロッパでは小学校教員と中学校教員の養成が大きく違う場合が少なくありません。またアメリカのPDSともつながる更新・上進制は、現職の免許保有率がかなり低い状況のもとで成り立っており、かつ上進のための研修が極めて多様であるなど特殊な状況にあります。欧米のものをそのままモデルにすることには無理があります。


4)欧米の新しい職能訓練・開発システムと日本における専門職大学院としての教職大学院の経験から、こうした一定期間系統的に理論と実践を往還させるコースを教師としての養成と自立のある段階に何らかの形で組み込む必要性と可能性が、いま明確になってきているのです。


 一方で大学における養成で実践的体験を重視し、他方で教育委員会等が採用後初任者研修や更新講習で資質能力向上に力を注いでも、教師への信頼と期待には応えられません。問題の根本解決には、まず、1ないし2年間にわたる実践的な訓練コースを養成ー研修のプロセスに組み込むシステム転換が必至なのです。


 もちろんこうした方向は、一定の結果を出しつつある教職大学院を中心に一気に6年養成制にしたり、学部4年の養成はそのままに採用後1-2年間担任など担当させず徹底したOJTを行うなどにより、免許制度に関係なく実現することはまったく不可能なことではありません。しかし実際には両者とも現実的ではありません。前者については、実践的教育の徹底において大学側はまだ十分な体制と意識が確立していませんし、後者についても、教育委員会と学校がそこまで研修に力を注ぐ余裕はおそらくありえないでしょう。


 ここで学部教員養成のあと免許上ひとつスクリーンを入れて「修士レベル化」としてシステム転換を試みることは、それをいつどの時点でどのようにして行うかという難問が残るにせよ、十分意義あることと言えるでしょう。


 このような意味での修士レベル化=一般免許の設定にはおおよそ次のような有効性があります。


(1)高度専門職として教師が備えなければならない資質能力を「一般免許状」という形で社会的に明確に公証し、ひいてはこれを教師への信頼尊敬を強める手だてとなしうる。
(2)教師の資質能力の知的側面と実践的側面とを、学部教員養成と修士レベル化との間で順序立ててつなげることができる。
(3)教師志望の学生に、自立した教師の目標を目に見える形で示し、教師への自覚を強めることができる。


5 一般免許から見た学部教員養成


1)以上の「一般免許=修士レベル化」から見て学部段階の教員養成のあり方についてどう考えたらいいでしょうか。これは修士レベル化が現実化される中で各大学が大いに検討すべきことですが、修士レベル化との関わりに限って私見を述べたいと思います。


2)まず、基本的な視点として、学部段階で「実践的指導力」を過大に求めたり、他方で実践抜きの専門教科ないし教養重視に陥ったりするのはどちらも適切でないということです。
 教師志望者にとって学部段階は、学士教育においてまずは幅広い教養と深い専門知識をどん欲に学びとらなければならないかけがえのない時期です。それとともに、教育の実際に触れつつ教職への自覚と決意を固めることが重要です。


※この点に関連し、18年答申が、学部教職課程は「教員として最小限必要な資質能力」を確実に身につけさせるもので、その意味は「学級や教科を担任しつつ、教科指導、生徒指導等の職務を著しい支障が生じることなく実践できる」こととしたのは、「消極的規定」であって再吟味が必要だと思われます。


3)幅広く深い教養と専門的知識は教師の資質能力の言わば土台であって、学部段階で一貫して追求されなければなりません。教師の仕事のコアが知的営みであることは片時も忘れられてはなりません。教師はひとことで言えば、「大いなる知の使者」なのです。


 しかしそれは、単なるばらばらな個別の専門知識や教養の寄せ集めであってはなりません。子どもたちの学びと教育の実際を踏まえつつ、一定の教育学的テーマ(教科内容を含む)について「探求」し続ける姿勢を磨くものであることが大事です。国語でひとつの童話を教えるにしても、子どもの視点に立って、作品の狙いや背景、童話史の中での位置などをとことん探求したり、地域課題を教材にすべく産業の実態を徹底的に調べたり、発達障害や不登校について、その教育的課題を踏まえてどう関わるかを自分なりに探求するといったように。おそらくこうした知的・実践的テーマは無限にあるでしょう。


 その際、養成カリキュラムの中で、これを「探求プロジェクト」として主要な柱のひとつにすることが考えられます。その中で、教育の実際を視野に置きながら専門的知識と教育学的知識とをつなげ、教職への使命感や自覚を具体的な探求と学習の課題にしていくのです。教師としての探求的な姿勢とそのための手だての習得こそ、学部の養成段階を通じて最も重視されるべき資質能力だと言えます。それは、学生の知的好奇心を最大限満足させ知的に成長させるものでもあります。


 さらに、この探求プロジェクトは、学生グループの協働的な活動として組織することも重要です。これは、資質能力の重要課題になっているコミュ二ケーション力、社会性さらには「人間力」の育成に有効であり、ぜひとも学部段階で一定程度達成すべき課題です(発話、会話、発表、討論、協働の力量形成など)。


4)教育実習については、これまでの「研究授業」に収斂したあり方を改めて、1年から4年まで、学校や教育施設を訪ね、子どもと直接触れ合ったり学校や教師生活全体を観察するなどして、教育と子どもの実際を踏まえて教師としての自覚を高めるものに改善する方向が考えられます。
 現行の研究授業中心の実習は、受け入れ学校と担当教師の奮闘、学生の根を詰めた努力にもかかわらず、これからの教師に求められる資質能力の形成の一部をカバーしているだけと言わざるをえません。「教師は授業が命」という点からは、これまでの形の教育実習を継続しつつも、1年から4年までを通じる広い意味の教育実習によって、より幅広く学校と教育、子どもの実際を学び、これを上記の探求プロジェクトとも結びつけて、教師への使命感を、幅広い社会的文脈にある教育的環境の中で、何のためにどのように教育を行うかに関する自覚と見識へと成長させることが求められます。


5)教職への決意を固める段階で新たに実施される「教職実践演習」を、上記の教育課程を通して獲得した資質能力を総合的に自ら判断するための科目として積極的に生かす必要があります。その際、先に述べた理論と実践の往還と省察の方式を学部段階で緩やかに応用する工夫が有効と考えられます。


6)しかし上記3点は、一般の総合大学の教職課程では実行が容易でありません。そもそも総合大学の教職課程では、専門的知識は理学部や文学部の教育的観点と無関係な専門にほぼ委ねられています。かつ教育学を中心とした教職科目は、おうおうにして大人数の一方的講義になっています。これらを乗り越える格別の努力と工夫が求められます。全学年にわたる広い意味の教育実習や教育的事実と課題に関する探求的プロジェクトはしかし、工夫次第ではどの大学でも可能です。少なくとも教職課程のおもな内容である教職科目について、学校現場の実際と実践に結びついた教育への改善が強く求められます。


7)学部(大学院)の教職課程について、18年答申以来強化されてきている課程認定の厳格化と事後評価をいっそう強めなければなりません。しかし膨大な課程認定大学数を考えるなら、これをすべて国(文科省)が担うことには限界があります。また学校教育は地域ごとの特色が尊重されてしかるべきで、その点では免許状の発令主体が、申請側の大学とともにこれに積極的に関わることは有益です。これらを考慮し、課程認定とその事後評価に関して、地域ごとに何らかの形で教育委員会と大学が関与する方式の導入が望まれます。


6 中堅教師としての成長ー専門免許


1)一般免許により自立した教師として歩みだしたとしても、それで教師としての成長が終わるわけではありません。先述のように教師生活は入職後40年近くに及びます。知識基盤社会における教師の最大の資質は、「学び続ける教師」、「探求し進化する教師」だと言えます。


 最近教師のライフコースについての実証研究が行われるようになっていますが、詳細は別にして、20歳前後の教職への出発、25歳前後の教師としての自立続いて、30代半ばから30代半ばの時期に中堅教師としてもう一段飛躍することが重要です。これに応えようとするのが<専門免許>です。


 現行の免許更新制は、35歳、45歳、55歳の3回、1週間ほどの「講習」を受ける形で課せられていますが、いかんせん短期間でかつ大規模講義形式が主流で、中堅教師へのキャリアアップとしては十分ではありません。<専門免許>を、とくに35歳、45歳の更新講習の実質(新しい教育課題などの習得)を包み込みつつより達成目標を明確にしたものとして位置づけることができます。


2) しかし専門免許の導入には一般免許以上に難問があります。
 そもそも、いったん入職した上での専門職としての高度化であれば、「専門看護師」や「専門薬剤師」のように職能団体自身の職能基準として立てればいいことであって、国が認める免許状による必要があるのかという問題があります。
 また、現行の学校におけるラインと校務分掌(校長ー教頭ー教務主任等)あるいは指導主事や社会教育主事とどう関係するのかも重要な問題です。さらには欧米で一部見られるような、一般教員に関する身分上のランク付け(上級教師)なのかどうかも明確にしなければなりません。個別問題として、現行の「専修免許」とどう関係づけるのかもあります。これらはなお慎重な検討を要するところで、まだ特別部会やワーキングでも方向性は明確でありません。最小限の私見を述べます。


3)まずは、学び続ける教師像の確立のためには、教師のライフコースの中で、この中堅教師段階での何らかのレベルアップ、ブラッシュアップはたいへん大事だということが確認されるべきです。
 ゼミの卒業生などに聞いても、10年くらい教師をやると授業や生徒指導に一定の経験と自信ができるとともに、無性にブラッシュアップしてもう一度学びたいという欲求に駆られると言います。これはおそらく普遍性をもつでしょう。


4)その際まず大事なことは、日本の教師で盛んな多種の自主的研修や更新講習が、どちらかといえば個人の資質能力の向上として行われているのに対して、まさに現在の学校と教育の課題に即して学校における分掌及び教師の協働的組織的活動に寄与するものとして設定されるべきであろうということです。それは具体的には、学校の諸活動の中堅リーダー的役割を担うことでもあります。
 そうした中堅リーダーの力量を特定の専門分野で発揮しうることの公証として、<専門免許>は一定の有効性をもつと思われます。


5)専門免許状として、目下のところ、学級経営、生徒指導、進路指導、教科指導、特別支援教育、外国人児童生徒教育、情報教育などの分野別があげられていますが、上記の観点からすると、単なる分業的な専門性の確立ではなく、校務分掌とつながり学校の運営と協働でリーダー的な役割を発揮することができるものとして設定することが重要です。


6)さらにこの専門免許の取得を、全教員必須のステップとするのかどうか、内容的に学位課程とするのかどうかも大きな問題です。
 一定程度力量を有するこの段階では、教師の自発的研修の要素を重視する必要があります。また学位については、一般免許=修士レベルにさらに学位を基礎資格とするのには無理があります。それらを考慮すると、大学と各県の教育センターなどとの連携による質の高い系統的なコース(認定講習等を含む)での免許取得とすることが妥当と考えられます。


7)中堅教師の段階では自発的な研修意欲を尊重することがとくに重要です。その点で、アメリカの上進制の柔軟なプログラム設定が参考になり、一定の条件のもと、校内研修、民間団体の研修への出席も積極的に一部単位として認める必要があります。
 しかし、専門免許として一時期を区切るためには、単なる講習の積み上げでは不十分で、理論と実践の往還による資質能力向上が一般免許段階より高いレベルで達成されるべきであり、各種研修や講習の積み上げを認めつつも確かなコース設計が不可欠で、そのためには大学等の専門家の関与と協力が不可欠です。


 専門免許制度の創設の上で欠かせないのは、現行の更新講習、各種法定研修、さらに専修免許との関係の整理を制度的にどう断行するかです。これなしには専門免許は画餅に帰するでしょう。最低限、専門免許取得による更新講習の免除が実行されなければなりません。


7 修士レベル化の可能性


1)今回の制度改革=システム転換の中で、しかし、決定的に重要なのは一般免許つまり修士レベル化をどの段階でどのようにして導入するかです。


 修士レベル化には、簡単に言って次の三つの途が想定されます。


(1)「ストレートマスター型」[学部4年に連続して修士レベルの実践的なコースを設置]
(2) 「採用直後型」 [採用直後初任者研修に代わり学校拠点の修士レベルコースを履修]
(3)「キャリアアップ型」 [採用後7年から10年後修士レベルコースを履修]


 以上についていずれも学位は「専門職学位」ないし「修士」(教育学研究科や一般大学院入学の場合)で、期間は基本的には2年(一定の条件により1年への短縮もありうる)。


2)しかしこれらはそれぞれにプラスマイナスがあり、いますぐどれかに絞って制度設計するのは現実的ではありません。
 「ストレートマスター型」は、4+2の一貫したカリキュラム構成が可能であり、教育効果は潜在的に高いとみなされますが、総合大学の専門研究科はもちろん、既存の教育学研究科でも先述した理論と実践の往還システムを導入し定着させるのにはかなりの困難が予想されます。また国公私の教員養成のバランスを欠くことになる恐れもあります。
 「採用直後型」は、自立した教師の育成として社会的にその意義が分かりやすいけれど、学校拠点に徹した場合学位コースとしての質がどう担保されるか、また大量の採用者を一気に受け入れる受け皿をどうつくるかの難しさがあります。
 「キャリアアップ型」は、言わば緩やかな修士レベル化で、現職教員の一定の願望には適応していますが、初任段階にはまったく及ばず、修士レベル化の社会的意義と効果が一般に見えづらい面があります。


3)そこで私見では、 当面3者の緩やかな併存を想定しつつ、漸次的な推進を図るのが現実的で賢明なアプローチだと考えます。
 かつ大事なことは、それぞれについて、自立した教師、高度専門職としての資質能力を確実に獲得させる方法として未だ十分な確証をもっていないことです。
 教職大学院は、発足後4年経ちこれまでに見られない成果を間違いなく上げつつありますが、まだ規模が小さく、理論と実践の往還の実際的な成果を確認するにはもう少し時間が必要です。


4)一気に制度改革するには、簡単に言えば、例えば免許法上基礎免許の有効期限を7年とか8年と定め一般免許を設定すればいいわけです。
 しかし、どの修士レベル化にも伴う困難な条件整備(授業料や修学期間延長の負担感、3万人に及ぶ採用者の受け皿の希少さ、学校現場への代替え教員等の人員整備など)を無視し安易に単なる制度改革に突き進むのは無謀です。
※現時点で教職大学院の入学定員830人、 国立教員養成系教育学研究科の入学定員3,333人、国立一般大学院免許取得者3,000人、同公立350人、同私立3,500人に対して採用者小13,000人、中8,000人、高5,000人、その他4,000人計3万人弱・・・平成23年度。


 にもかかわらず、発想を変えれば道はあります。必ずしも法制度改正を待たなくても修士レベル化は部分的には可能なのです。
 自発的に学部連続の修士大学院(教職大学院、既存教育学研究科、一般大学大学院等)への入学者増を待つだけでなく(余程の条件整備をしない限り多くは望めません)、採用直後型でもキャリアアップ型でも地域単位で教育委員会と大学が全面協力してやる気になれば実現できるのです。
 県ごとの採用者数は、100人前後から千数百人まで幅があります。とりあえず比較的小規模な採用数の県では一気に実質的な修士レベル化ができます。そしてこれを「パイロットケース」としてその成果を確認し拡げつつ全国的な制度整備に向かうわけです。


5)それにしても、せっかくの修士レベル化もその内実が問題です。先述の理論と実践の往還による高度専門職の資質能力の確実な獲得が至上命令です。この点で重大な課題が存在します。既存の教員養成系教育学研究科も、まして一般大学の専門研究科も、こうした実践的な教育システムをいまのところほとんど欠いているのです。だからといって、これらの機関を修士レベル化からオミットすることはできません。教科の研究面ではそれらは修士レベル化に十分貢献できるのです。


 この問題の解決は理論的にはそう難しいことではありません。それぞれの教職課程ないし専修免許取得に際して、教職大学院を活用した短期の(3ヶ月~6ヶ月)インテンシブなコース履修を必修にするのです。そのためには、県単位に教職大学院を置く拡充策が必要ですし(現在は20都道府県25大学)、都道府県では、教職大学院と一般大学研究科との連携(共同大学院ないし連合大学院)を構築しなければなりません。


 またこうした教職大学院の開かれたインテンシブコースは、今後いっそう期待される社会人の教職への道を用意することにもなります。とくに高校の教科教員に関しては、専門学部ないし大学院卒業者を、こうしたインテンシブコースで短期間に訓練することにより、より門戸を拡げることができると思われます。とくに高い専門性をもつ博士課程修了者(オーバードクターを含む)に関しては、このコースの柔軟な運用により確実に一定の参入を期待できるし、それは高校教育全体の底上げとレベルアップに小さからぬ貢献をすることになるでしょう。
※実際の修士レベル化の内容は学校種ごとにも検討する必要があり、とくに幼稚園教諭に関して一律修士レベル化は必ずしも現実的でないと考えられますが、免許法上の処理には一定の難しさがあり、ここでは触れません。


6)以上のような「現実的アプローチ」を追求する場合、県ごとに先の3タイプについても柔軟に選択できるようにするのが望ましいのですが、実際には多くの県は、修士レベル化の社会的意義の明確さを求め、(2)の「採用直後型」を選択することが予想されます。


 その際のコース設計上重要なのは、学校拠点の研修と学位取得との一体化を具体的に実現することです。学校における一定の職務遂行に埋没してもダメだし、学校の日々の教育活動に障碍になるようなものであってもなりません。


 この点で、現行の教職大学院の現職教員の教育方法について一定の整理と改善を図る必要があると思われます。多くの場合、教育委員会派遣か自発的進学かにかかわらず、必要な講義を主として夜間や長期休業期間に開講したりして円滑な学修環境に努めています。かつ実習(10単位)を一部免除している場合でも、いろいろな形で連携協力校に出かけてフィールドに根ざした研究に尽力しています。


 しかし実習の実際のあり方を見ると、実習を免除しているいくつかの大学は、基本は大学でのレクチャーで、その実践的な課題のフィールド調査のために不定期に学校へ出向く形が主になっています。また実習免除をしていないところでも、例えば、1年目は週3日勤務校でない連携協力校で授業などを一定担当しつつ研修し、あとの2日は夜間大学でレクチャーを受ける形になっています。


 先に想定した採用直後の修士レベル化を考えた場合、これでは、理論と実践の往還と自己の実践の省察が恒常的に行われているとは必ずしも言えません。かつ自己の実践をたえず仲間との協働で省察し合い自らの力量の到達度を客観的に確認する恒常的な仕組みがぜひとも必要です。
 この問題を解決するには、現行の教職大学院でも、いま以上に学校における職務に即して大学院教育が行われるような思い切った工夫と改善が必要です。


7)しかしこれだけでは学校現場の負担回避の面でまだ不十分です。現職大学院生のための特別の定数配置が行われても、学校には容易に負担感は拭えません。
 すでにこれに配慮し、多くの教職大学院では学生の研究テーマを、学校や地域の教育課題を中心に設定することとし、少しでも学校現場にその成果を還元する仕組みをとっています。しかしこれでも根本の解決にはなりません。


 根本的なソリューションは、私見では、学校自体が日々の教育実践の中で資質能力をたえず向上させようという実践即研修の体制になっているかどうかにあります。まさに学校自身が「進化する学校」でなければならないのです。連携協力校では研修が日常的なものになっていなければなりません。そして大学院生の研修と研究は、この日常的研修とぴったり「融合」していることが望ましいと思われます。
 この点は、アメリカの PDS の導入に当たって大学と学校との対等の関係として大いに強調されたところです。


8)以上にような教育方法を前提にしつつ、さらに修士レベルの到達点を明確にする必要があります。個々の資質能力について挙げるのは措くとして、基本的な目標は、自立的な教師として一定の指導法を確かに身につけるとともに、以後の教師としての実践で予想される種々の困難を教師の協働の中で自力で解決できる力を獲得することだと思われます。それには、自己の実践の反省的な振り返りと一定の一般化が不可欠です。教師の資質能力の向上策としての現場実践重視は、菓子職人が一人前になるためにひたすら先輩や親方の腕を盗み技を磨くようなものではありません。ここに学校を拠点とした研修の、大学の学位コースとしての意義があります。


 そのためにこそ、専門職大学院修了の実を確かなものにする、ケーススタディを中心とした「実践研究報告」作成の意義があります。ここで大学の教員は大いにアドバイスをし導かなければなりません。


9)しかしながら、新しい専門職大学院としての教職大学院は、まだ数と規模の点であまりにも少なく、漸次的・地域的であろうと修士レベル化を担い切れるまでにはなっていません。量的に不十分なだけでなく、知識基盤社会における高度専門職としての力量の形成獲得に教職大学院的な理論と実践の往還方法が有効であることが、まだ広く浸透していないのです。


 この点では、大学側が教育委員会の各種研修に積極的に協力しその教育方法の意義を拡げていくとともに(場合によっては、福井大学で検討しているように、法定研修の一部を教職大学院の単位として認めるやり方も有効)、教育委員会や学校側は、教職大学院修了者を校内外の研修活動のリーダーとして活用したりして教師のキャリアパスの大事なステップとし生かしていくことも必要だと思われます。


10)以上、修士レベル化の制度改革を大局的に展望しつつ、現実的で有効なアプローチを探ってみました。繰り返しますが、これからの教師の資質能力向上は、理論と実践の往還による実践的な力量の高度で確実な形成獲得を抜きには基本的に考えられません。
 これを本格化しつつある知識基盤社会における高度専門職の資質能力向上策のモデルとして切り拓いていく必要があると痛感します。


 日本では、大学教育の中で、高度専門職養成の蓄積が十分ではありません。教員の資質能力向上のためのステップアップ型免許制度とその中核にある修士レベル化は、そうした中で実に挑みがいのある課題です。日本の教師の伝統的な高い研修意欲を拠り所に、大学と教育委員会が真に連携協働するなら、必ずやこの道が拓かれることを確信しています。教師の資質能力向上のための修士レベル化へ一歩一歩着実に歩を進めたいものです。


(了)


[本稿については、中教審特別部会とそのワーキンググループでの討論とともに、とくに委員会で同席している福井大学教育学部松木健一教授との集中的な議論に多くを負っています。ここに記して感謝の意を表します。もちろん内容表現とも責は全面的に筆者が負っています。]
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テーマ : 教育
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教員の資質能力の向上のために ー 修士レベル化の可能性(上)

 [ 昨年6月以来、中教審の特別部会で、修士レベル化を軸に教員の資質能力向上が議論されています。現在そのワーキンググループがつくられ年度内の答申案をめざして検討されていますが、その一委員として、自分なりに考えていることをまとめてみました。言うまでもなく、部会やワーキンググループの見解そのものではありません。
 なお、この文章は、11月23日に都留文科大学で行われた教職員向けの講演のレジメに手を加えたものです。]     

1 なぜ資質能力の向上か


 教師の資質能力の向上はさまざまに論じられます。まず、なぜどういう視点からこれを論ずるかを検討しておかなければなりません。私見では3点あります。

1)社会と子どもの変化で、教職が複雑化・高度化してきている。子どもの多様化、保護者・地域社会との関係の変化、知識基盤社会と高学歴 社会、高度情報社会、国際化等。

 その中で、子ども好き、真面目、熱心、尊敬されるといった「伝統的教師像」が成り立ちづらくなってきました。このことは、50代教師で子どもの変化に対応できず早期に退職する人が増えたり、教頭校長志望者が減り希望降任者が増えるなどの現象に現れています。

2)今後の教員の年齢構成の大きな変化。10年間で公立小中の3分の1弱(20 万人)が退職予定。このまま下手をすると、学校が大量の経験不足の若手教師と少数の多忙な中堅教師からなることが予想されます。

 なお、日本で教師の資質能力を論ずる場合、教師が巨大な集団であることに留意が必要です。平成22年度ー幼11万、小42万、中25万、 高24万、特別支援7万の計110万人、内公立小中65万、私立 小中2万、公立高18万、私立高6万。この中で、65万人を数える公立小中学校の教師が比重の上で大きいことも無視できません。


3)学校の小規模化に伴う教師の協働性の弱体化。これは案外重視されていませんが、学校の実際の中では非常に深刻な問題です。これまでのように、学校の中で先輩教師のリードによって若手教師が育つということが成り立ちづらくなってきているのです。この点での学校ごとの差が激しく、最近ときどき、「最初に勤める学校の当たり外れはくじ引きのようなもの」と言われます。


4)さらに、社会の変化は教師志望の学生にも現れており、これまでの養成システムではスムースに育たなくなってきています。教職志望の学生は、大学入学時点からいまの若者のいくつかの弱点(例えば学ぶ力やコミュニケーション能力の減退など)を抱えています。
 自分の経験でも、20年くらい前までの教師志望の学生は、学生時代教師になるための勉強をそうしていなくてもパワーがあり、現場に入ってから腕を磨いていっていましたが、最近は採用時点でも自信がなく、早々に辞めてしまう教師もけっこういます。

 11月8日文科省が発表した、公立校の新人教員2万6千人の内 288人が1年以内に退職で10年前の8.7倍、自己都合58%、病気35%で病気のほとんどが「心の病」という実態をどう見るかはいろいろでしょうが、新任教師が「ひ弱」になってきているのは事実でしょう。


 最近知り合いの札幌市内のある校長さんからこんなメールを受け取りました。「教育大学を出ていても、教育実習を経験していても、4月当初、新卒教諭には何もできません。そのためサポートしなければ、確実にその学級は崩れていきます。子どもが荒れていき、保護者が騒ぎだします。」

 以上のように、いまの教師の資質能力の問題は、もはや教師個々人の問題範囲を超えているのです。

5)資質能力問題への視点
 で、教師の資質能力の問題について、次のような視点をまずは共有する必要があると思います。

(1)現在の資質能力問題は、日本の大きな教師集団の総体としての今後のあり方を決する「構造的問題」である。
(2)であれば、個々の教師に資質能力向上のための研鑽を求めるだけでなく、教職生活全体にわたって、養成・採用・ 研修を一体として制度的に確実に向上を図る改革が必要である。
(3)なかでも、新人教師としての力量如何、その後の中堅としての自己成長がポイントであり、教職生活全体を見通しつつ養成に関わる者、採用後の研修に関わる者の責任と課題は大きく重い。

2 求められる資質能力と教師像


 ところで、そもそも教師の資質能力とは何でしょうか。しばしばその内容がきちんと確認されないまま資質能力向上が叫ばれますが、その吟味は議論の大前提として欠かせません。

1)教師の資質能力について、一般に、(1)「使命感、子どもへの愛情」、(2)「専 門家としての力量(教科指導、生徒指導、学級指導)」、(3)「人間力 (社会性、コミュニケーション力等)」を基本とし、さらに新たに求めら れる能力として、ICT、特別支援、環境教育、外国人生徒への対応などが挙げられます。

2)教師の資質能力については、まずもって諸要素の並列ではなく、その「重層的・構造的」理解と、教師の成長と教育課題の歴史的変化に関する「時間軸からの把握」が必要です。
 「重層的・構造的」というのは、先の3つの側面を相互のつながりをふまえて立体的にとらえることです。教師としての専門的力量つまりその知識と技能は、人間的素質の開発として発揮されますし、教師の人間力や人間性は教師としての専門的な知識と技能を磨くことなしには有効ではありません。また両者をいわばつなぐ形で、教育観と使命感が不可欠です。専門的知識と技能は、教職の強い自覚と教育観によって支えられなければ生きた力になりません。


 さらにこの3者は、単に個別の教師の生徒との1対1の関係で成り立っているのではありません。学校教育である限り、教育活動はつねに<教師ー教師>の組織的な活動つまりは学校の中でしかありえませんし、教師と生徒との関係も1対多とともに多対多の関係を含んではじめて成り立ちます。ここに、近年強調されつつある教師の協働性、子どもの学習の協働性の根拠があります。


 以上の資質能力の構造が、同時に教師個人レベルと教育課題に関する社会的歴史的変化の両方で時間軸の中にあります。教師個人は、自分の人間的資質を教師としての専門的力量を磨くことによって成長します。さらにマスとしての教師集団の力量は、不易な面を含みながら社会的歴史的な教育課題に対応し変化せざるをえないものです。

3) 教師の資質能力は、確固たる教育観に基づいた専門的な知識・技能を、子ども・教師 集団との関わりの中で、自己の資質(人間力)の展開として日々の実践の中で具現化するもので、かつそれは、知識基盤社会という知の様式を大きく変える社会の中でたえず進化が求められるものとして存在しています。
 とすれば、資質能力のあれこれの要素をそのときそのとき強調したり新たに付け加えたりするのではまったく不十分であって、その不易の要素を基軸に置きつつ、いま知識基盤社会において「再定義」されなければならないのです。


 それはひとことで言うと、教室の中で子どもへの愛情いっぱいに知識の伝授に努めそれによって信頼と尊敬を受けていた伝統的教師像から、教師間の協働性をふまえつつ、子どもたちの協働的学習を確実に組織し、知識基盤社会で生き抜く力をつけて送り出すことによって新しい形で社会から信頼と尊敬を受ける専門職として「教職を高度化する」ことです。


 知識基盤社会では、医師や看護師、弁護士などの伝統的な専門職もそのあり方の「高度化」が必至になってきています。教師については、その専門職性が学校世界の中でしか見えづらいこと、かつ長い間そうした閉じた専門職性がそのまま信頼と尊敬を受けてきたことなどにより、あまり専門職としての社会的確立が叫ばれてきませんでした。しかしいまは、開かれた形でその専門職性を社会的に確立することなしに、教師への信頼と尊敬は回復されません。


 そしてそのためには、教師の専門的知識と技能そのものが、固定的にではなく、絶えず変化成長するものとしてとらえられなければならないのです。知識基盤社会においては、たとえ初等教育の段階であっても教育内容とその意味が社会的に大きく変化していますし、教育技術やスキルについても、子どもの変化の中で刻々と変わっていかなければなりません。それらは、現代社会の流動激しい変化を見抜く社会的洞察を通してはじめて得られます。そうした教師の資質能力の新しいあり方を、教師の高度の専門職性の基本的内容として明確にしていくことがいま求められているのです。

3 「ステップアップ型」免許制度


1)教師の資質能力を、資格の有無の点で社会的に「公証」するのが免許制度です。戦後日本の免許制度は、「開放制」と「免許状主義」を原則として実施されてきました。しかし、こ の「公証」つまり社会からの信頼感が揺らいでいます。


 その原因のひとつとして、開放制のもとでの免許状の「濫発」がときに挙げられます。例えば、昭和39年度の幼小中高等すべての学校種での免許状取得者は約5万人、そのうち採用者は3万3千人、それに対して平成17年度はそれぞれ約12万人、4万人と免許取得者が大幅に多くなっています。この数字を根拠に、一部で「国家試験化」の必要を主張するむきもあります。しかしこの数字自体、正確な吟味が必要です。
 まずは、この中の採用者は、翌年度の採用者数であって、取得後後年採用された者を含んでいません(それはかなりの数になると思われます)。


 さらに、学校種別に見ますと、小学校は取得者1万6千人に対して採用者5千人、中学校は5万人に対して2千人、高校は7万3千人に対して千6百人と、ギャップの大きな部分が中高、とりわけ高校免許に関するものであることに留意が必要です。幼稚園のギャップも大きいと思われ、これらは昭和40年代以降に進んだ私立大学等の急増の結果でもあるでしょう。


 いま学校教育には、不登校対応やティームティーチング、小規模クラス、地域連携などで多様な人材によるサポートが必要になってきています。そうしたことも考慮するなら、いま直ちに敢えて免許状主義を止めて国家試験化することについては慎重であるべきでしょう。かつ免許上の過剰を国家試験化することで量的にコントロールすることは一定の有効性を持ちますが、教師の「質」の向上に直接つながるものでないことにも留意が必要だと思います(1回のペーパーテストで教員の資質能力を見抜くことは至難です)。


 当面は、教職課程の課程認定や評価の厳密化をいっそう徹底していくとともに(これ自体量の一定のコントロールになりうる)、開放制のメリット(多様な人材の登用)をより生かす具体策(社会人からの転入をよりスムースに可能なようにするなどー後述)を現実化していくのが妥当だと考えます。

2)免許状の量的コントロールよりも、いま教師の資質能力向上の点から免許制度上検討すべきは、1と2で述べた、知識基盤社会における高度専門職としての教師の資質能力の向上と確立に役立つ免許制度の改革です。そのポイントは、資質能力の向上をめざして「学び続ける教師」の成長を支援する免許制度とはどのようなものかにあります。


 平成18年中教審答申は「学び続ける教師」の重要性を提起し、教職実践演習の必修化(教職課程の厳格化)と免許更新制、さらには新しい専門職大学院としての教職大学院の設置を具体化しました。しかしこれらだけでは、先の課題に応える構造転換にはなりません。免許更新制には「学び続ける教師像」のコンセプトが含まれていますが、あくまでも消極的に資質能力維持を教師個人に義務づけたものに過ぎません。

3)そこで、現行の開放制と免許状主義を前提にしつつ教職の高度化を図るには、免許(資格)そのものを一回性のものでなく、ステップアップするものに変えることが考えられます。現行の免許は、1種2種の違いと上位免許上としての専修免許がありますが、それらはそれぞれ完結しており、ステップアップを想定して設定されたものではありません。
 教師のキャリアは、教師志望とその基礎的資質の獲得の段階(学部)から採用、そして入職後40年近い教師生活と長期にわたります。その一時期だけを区切って教師の資格を公証するのは、現在の変化の激しい知識基盤社会では到底不十分になってきているのです。

4)以上のように学び続ける教師として資質能力を向上していくことを促す免許制度としていま検討されているのが<基礎免許ー一般免許ー専門免許>というステップアップ型の免許制度です(ここで「ステップアップ型」と名付けているのは筆者個人の命名で中教審特別部会の公式呼称ではありません)。


 その際、<基礎免許>には学部、<一般免許>には「修士レベル」、<専門免許>には中堅リーダー養成が想定されています。中でも、学び続ける教師の資質能力向上に即した免許制度の中心は、<一般免許=修士レベル化>、その意味での専門職としての教師の社会的位置の高度化にあります。


 同時に、こうした免許制度は、教師の養成段階、採用段階、その後の研修段階とそれぞれ別々に議論されるのでは十全でありません。志望と養成の段階を含めて教師生活の全体にわたって、<養成・採用・研修>の仕組みを「一体的に」変えなければなりません。
 <養成・採用・研修>の連携についてはこの10数年繰り返し中教審答申等で強調されてきました。そしてとくに国立大学法人化前後から国立教育大学・学部ではかなりその自覚が高まり連携が強くなってきています。しかし、今回はその枠に止まるものではありません。まさに「一体化」が課題なのです。そしてその成否を決するのは、教育委員会・学校と大学との組織的連携です。

5)しかしこの免許制度の改革は、戦後初といっていいくらい大きな改革で、実現には難問がたくさんあります。改革のポイントである修士レベル化や専門免許に待遇上のアップを想定するのか、単に教師になる期間が長くなるだけだと大量退職期に教師志望者を大幅に減らすことにならないか、いつどの時点で<一般免許>取得を義務づけるか、場合によっては学校現場での大幅な人員増が必要になるのではないか、どう免許制度を変えてもそもそも大学の養成課程が信頼に足るものになっていないではないか、仮に修士レベル化を義務づけるとした場合受け皿となる大学院レベルの教育機関は用意できるのか等々。


 これらの疑問には、「はじめに修士化ありき」ではなく丁寧に解決方向を検討する必要がありますが、大事なことは、個々の論点の解決だけでなく、先述したような高度専門職としての教師の資質能力向上について、国民的な世論の期待と支持がなければ事は絶対に成就しないということです。中でも、巨大な職能集団である教師集団自身が、保護者や地域の人々と連携しつつ自らの問題としてこれについて明確な意思表示をすることが必要でしょう(この点で着実に自らの地位向上を推進しつつある看護師協会等の努力は注目に値します)。さらに、国づくりの基本として積極的に教師の資質能力向上をめざす強い政治的リーダーシップが不可欠です。(続く)

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プロフィール

村山紀昭

Author:村山紀昭
長い間、北海道教育大学で哲学を教え、1999年から私大を含めて10年間学長をつとめました。
退職後、教育と福沢に関する月1回の勉強会「教育人間塾」を続けるとともに、文科省の委員会委員や北海道教育委員会のアドバイザーとして、教育政策とくに教師教育政策に関わってきました。
平成26年4月からはフリーなスタンスで教育や福沢について思索する日々です。
趣味は音楽とオーディオ、クラシックと初期ジャズが好き。

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