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道徳教育寸描

札幌市内で行われた学級づくりセミナー主催の「道徳の授業づくり」に出てきた。中心は山形の小学校で長く道徳の授業をやってきた佐藤幸司先生の講演と模擬授業。その他、道内の若手3人と石川晋さんの模擬授業も。参加者は20数人だが、道徳授業テーマで3年目という。少人数であっても、こうした地道な研鑽の場が続けられているのは素晴らしいことだ。

佐藤先生の実践は、徳目の押しつけや型にはまった授業にならないように、写真やデータを見せることから始めたりと、さすがに年期が入り工夫されたものだった。山形ではごく普通に副読本を使った道徳授業が行われているとのことだった。

チキンライスの写真を見せて、レストランに親と行ってもいつもチキンライスしか注文しない少年の話を引き合いに出し、親に気を使って遠慮している状況についていろいろ子どもたちに考えさせる。最後にはチキンライスという歌まで歌って何かを感じさせる。ここまで用意周到に準備をするのは大変だが。

かつ彼の授業では、つねに生徒全員に書かせたり発表させたりを大事にしている。結論も教師がやんわりと例を挙げるなどしてまとめる。子どもたちの「心に残るもの、余韻」を大事にしているのだという。柔らかな語り口、豊富な素材と相まって、なるほどこれだと子どもたちの心にじわーっと沁みるだろうと感じた。

参加している比較的若い先生方は、熱心にその手法、素材の用意の仕方などに耳を傾けていた。それなりに得るものは多々あっただろう。ただこれらから参加者が道徳教育のあり方について何を学び取ったのかについてはどうかな、というのが正直な感想だ。結局明日すぐ使えるあれこれのアイディアが主であることは否定できない。

こういう現役の熱心な先生方の自主的な講座に参加したのは3回目くらいで、明日のアイディアをというのはある意味当然だろうとは思いながらも、やはり違和感が拭えないところがある。せっかくなんだからいろんなノウハウと同時に、そもそも道徳的価値とは何かなどの議論がどうして行われないのだろうか、と。

で、一つ感じたのは、徳目の押しつけにならないようにというのは大事だが、そのことは教師自身の個々の道徳的価値についての見方考え方をカッコに入れてではないだろうということ。子どものきれいごとの発言を問う前に、教師自身の価値観も問われているのではないか。子どもは教師のそれを鋭く見ている。

そこが算数などと道徳の違いだ。算数等の教科は、いちいち計算の意義などの価値感を問わなくても授業は成り立つ。しかし道徳の授業はそうではないだろう。子どもから言えば、では先生は親切とか遠慮というものをどう思っているのかと問えるのではないか。

そんなことを考えながら、ふと福沢の徳育論を思い起こした。福沢は学校で扱うべき道徳を「公徳」でなく「私徳」に限定した。モーゼの十戒等の人類普遍の徳である。かつそれを学校で教えるのに、たいして普遍性を持たない教科書ではダメだと。聖賢の言い伝えのように誰もが認める価値を伝えなければならない。

もちろん今道徳教育を考える場合、盗むなかれなどの人類普遍の徳だけでは不十分だろう。教育勅語制定直前の福沢の公徳=社会的道徳への慎重さを考慮しても。それにしても、個々の教師がどういうように普遍的道徳価値を語れるのかの問題は確かにあると思う。そこを避けては道徳教育は成り立たない。

道徳的価値自体について授業者自身による吟味が必要と前述した。例えば学習指導要領の各学年に割り振られた「道徳的内容」を見ていただきたい。小学校中学校を通して4つの領域(自分自身、他人との関係、自然や崇高なものとの関係、集団や社会との関わり)が区分され、小中それぞれに(小学校では低学年、中学年、高学年に分けられている)16〜24の項目が立てられている。

小学校低学年(1〜2年)の自分との関わりの中身の1番目は、「健康や安全に気を付け、ものや金銭を大切にし、身の回りを整え、わがままをしないで、規則正しい生活をする」、他人との関わりでは「気持ちのよいあいさつ、言葉遣い動作などに心掛けて明るく接する」だが、これらは厳密な意味で道徳と言えるだろうか。

前者は生活規律であり、後者は礼儀だ。同時に自分との関わりでは、「よいことと悪いことの区別をし、よいと思うことを進んで行う」、他人との関係では、「高齢者などに温かい心で接し、親切にする」「友達と仲よくし、助け合う」など挙げげられている。4分類の下でのこうした項目の列挙は理解が難しい。さらに、中学までの各項目の全体を見ると、あまりに内容が盛りだくさんで、それだけで頭が痛くなる思いがする。

問題点を簡単に言うと、しつけや生活規律、礼儀などと善悪の基本、さらには親切などの社会的価値が説明抜きにばらばらに列挙されているのだ。お年寄りに親切にするとか友達と仲良くするということと、身の回りを整える、挨拶をきちんとするなどとを教師はどう区別して教えるのか。ここには道徳的価値としてのフェイズの違いがある。

私見では、①しつけや規律、礼儀、②うそをつかない、年寄りを粗末にしないなどの基礎的善悪(普遍的人類的価値)、③親や教師を敬愛し家庭や学校を楽しいものにするといった社会的主体の形成=社会的道徳の3つのレベルは区別されなければならない。これがごちゃごちゃに挙げられていている。

こうした道徳内容項目(徳目に近い)が、フェイズの違い抜きに全体として社会の中の一員として生きるものの道徳とされているように思われる。これをそのまま大事な道徳的価値として教えると、いくら途中で討論したり「主体的に」考えさせたりしても既存社会の枠組からの押しつけになりかねない。

指導要領の自分との関係など4つの枠組の設定と指導法での主体的自覚の尊重は、ある意味、徳目主義にならないようにとの配慮でもあるかもしれない。しかしその枠組そのものが道徳的価値とは何かについての吟味と説明抜きに行われているのではないだろうか。これでは、変容しリファインされた徳目主義と言われても仕方ない。

そもそも身の回りを整えることや挨拶をすることなどと、うそをつかない、他人を傷つけてはならないなどの基本的モラルとを同列に子ども達に教えるのには無理がある。教科としての道徳を課題にするならこれは見過ごせない論点だ。あれもこれもとなるともう教科としての道徳とは言えない。

教科化に当たって先日発表された中教審道徳教育部会の報告でも、これらが論議されず、むしろ4つの領域の道徳内容をより詳しく指導要領に盛り込むとされているのは大いに疑問が残る。学校で学ばなければならない道徳的価値とは何かの根本的な問いを避けては真っ当な道徳教育にならないのではなかろうか。

道徳教育の問題性は、押しつけか主体的自覚か、単一価値か多元的価値かなどの対立だけではないように思う。道徳的価値の異なったフェイズをきちんと区別した上で、まずは人類普遍的価値に基本を置くこと、社会的主体形成などは普遍価値からの重層的拡がりとして展開することではないかと思う。

この視点からも、福沢の、私徳と公徳とを区別しまずは私徳を基本にという見解は、学校における徳育の可能性と限界を確認する上でなお有意義だと思う。道徳教育は大事だ。とくにいまとこれからの子どもに。でも社会的枠組からの外挿では、小学校ではやはり押しつけになりかねないし、中学校ではきれい事で終わりかねない。

ポイントを整理してみよう。

①学校における道徳教育(とくに教科としての)の勝負どころは、人類的普遍的道徳的価値(善悪)の教育であり、しつけや生活習慣などは基本は家庭や地域の課題であって、過剰に学校が背負うべきでないこと。

②普遍的善悪のモラルは小学校中学年位までに、適切な事例や古今の言い伝えなどを活用し繰り返し子どもたちに問う必要があること。

③しかし、小学校高学年から中学校はそう簡単でなく、善悪価値が社会でどう活きていくかを念頭に、子どもの社会的自立と一体に、さまざまな価値葛藤などを含めて展開される必要があるだろうこと。

ここで留意されなければならないのは、小学校低学年で挨拶とか生活規律などに過度に固執すると、挨拶は苦手だが善悪の観念はしっかりしているなど(逆もある)の子どもの特性を見過ごしかねないことだ。

また、友達や仲間を大事にとかの価値の過度の強調にも、例えそれが多元的価値を認め合うとかにしても問題がある。いじめなどで異質な他者との関わりを強調するのには意味があるが、多元的社会の生き方と、人としての善悪の観念とはまずは区別さるべきだ。要するに、小学校高学年中学校では社会的自立につながる道徳的価値が基本ではないか。

しかしもちろん、小学校中学年までに大事な普遍的善悪の観念の教育でも、徳目の押しつけは論外で、多様な事例から善悪価値にも多元性・多層性が潜んでいることを押さえておくこと、普遍的モラルをどう伝えるかについて素材を、古今の意義あるもの、価値の尊さを感じ取れるようなものから適切に選ぶ必要がある。

さらに、善悪の観念と社会的主体としての成長との内的なつながりをどう押さえるかが極めて重要だ。学校教育だけから両者を一体的なものとすることはおそらく不可能であろう。人は悪いが能力はあるという状況を完全に道徳的観念だけから否定はできないだろうからだ。善く生きることが生きることの根本であることがいかに普遍的真理であるにしても。

古くて新しい問題だが、人柄が悪いが能力があることと、能力はそう大きくないが人柄がいいこととの相克は、学校教育や道徳教育の枠組だけでは決して解決し得ないことであることはよく見ておいた方がいいと思う。

(了)
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プロフィール

村山紀昭

Author:村山紀昭
長い間、北海道教育大学で哲学を教え、1999年から私大を含めて10年間学長をつとめました。
退職後、教育と福沢に関する月1回の勉強会「教育人間塾」を続けるとともに、文科省の委員会委員や北海道教育委員会のアドバイザーとして、教育政策とくに教師教育政策に関わってきました。
平成26年4月からはフリーなスタンスで教育や福沢について思索する日々です。
趣味は音楽とオーディオ、クラシックと初期ジャズが好き。

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