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教員採用の国家試験化・国家免許化について

報道によれば、5月14日の教育再生実行会議で、教員採用選考の際「筆記試験を国の組織が」(NHK)、「国と地方の共同実施で」(朝日)とかを提言とのことです。先日の与党実行本部の「国家免許化」とは大きく異なる内容になっており、今後の議論が注目されますが、制度的に見れば「国家試験化」も「国家免許化」も重大な難問を含んでいて、慎重な検討が不可欠です。

先日の与党実行本部案について、教員免許を「国家資格」とか「国家免許」にすることで教師が社会の中で評価されるようにするためとの説明が報道されていましたが、国家資格とか免許は、宅地建物取引士とか栄養士とか保育士とか沢山あって、どれもが医師のような高い社会的評価をもっている訳ではありません。そもそも、国家資格・国家免許にすれば教師への信頼が高まるなどという単純な発想に乗っかることは眼を曇らされます。

国家資格とか免許はどういうものかの説明抜きに、医師免許と同様に、などと発表者側の強調点をそのままに報道する姿勢には疑問を感じます。

医師のように質の高い国家試験をやり国家免許にすれば、と言いますが、そもそも医師と義務教育教員の採用のあり方が根本から違うことをまずは見るべきでしょう。義務教育学校は、国民の教育を受ける権利に基づいて設置者である都道府県等が担い手の教員を適切に採用配置する厳しい義務を負っています。これは、一見同じようですが、地方の病院を含めて全国的に医師を適正に配置する努力義務とは根本的に異なります。

例えば国家試験・免許になり全国的に相当数免許取得者を確保したとしても、採用時に都道府県毎の志願者に大きな差が生じ、特定の県で教員を定数通り確保できないといった事態が起こったらどうするのでしょうか?これは十分にありうる予測です。

受験者の志望県ごとに合格点に差を付けるなんてことはありえません。国家試験の意味は、全国的に試験上での質を共通化するのが目的なのですから。都市部志向の教師志望者が国家試験合格者の多数を占めた時、合格者の配置を国が割り振るなどもまったくありえないことです。

(医師の場合も、医局制度廃止からこうした配置の不均衡、地方医師の大きな不足が生じていて社会問題になっていますが、医師の高度の質維持の必要が不均衡実態を凌駕していて、辛うじて厚労省や地方自治体が種々の部分的な緩和策ー奨学金に伴った一定期間の就職義務や地方勤務の好待遇化などーをとっていると言えます。)

もちろんこうした難問を潜り抜ける策もいろいろありうるでしょう。国家資格の職種もこの点で実際のあり方は多様です(例えば保育士は国家資格ですが、採用試験は都道府県実施など)。しかし義務教育学校という国の根幹的な業務については、まずは確実な教員の確保が先決で、安易に医師のようになどとは到底言えないのです。

おそらくこうした制度上の難問を考慮してでしょう、実行会議は「国家免許化」は言わず、試験の共同化を提言し、かつ具体化は中教審でとしているようですが、これについても、簡単に「ああ、国が関与した方がいい試験になり、結果的に教員の質が上がりますね」などとは言えないと思います。

まずは、全国で多様に行われている各都道府県の採用筆記試験にどんな問題があり、どう改善する必要があるか、などひとことも触れていないようなのは理解に苦しみます。もちろん全国の筆記試験をよく承知しているわけではありませんが、北海道についていえば、試験問題はそうおかしなものでありません。

それと、教員の質といっても、筆記試験は要するにペーパーテストであって、それ自体でどこまで質を上げられるか簡単に言えることではない点に注意が必要です。

医師についていえば、医師試験は3日間、論述を含む膨大な問題を出し、受験者は9千人程度だそうです。対して小中高の教員の場合その何倍かの受験生がいて、結局マークシート式がメインになり、3日間もできるでしょうか。

いずれにせよ、国家試験化や国家免許化について政治的意図などは別にして、何でも国がやるといった政策動向としてはアナクロ二ズムだと言わざるをえないと思います。教員の質の確保・向上は大きな国民的課題なことは間違いありませんが、その地域ごとの状況に合わせた量と質の両方を確実にアップしうる実効性のある改革案こそが求められると確信していますし、そのための具体策は英知と財政的裏付けがあれば十分可能だと考えています。

なお、国家試験化・免許化と「インターン制」とは別なものですが、国家免許化だけでは教員の質の向上にならない(医師も学部卒後の国家試験のあと2年間研修医が義務です)という点では、両者セットでなければ意味がないでしょう。

しかしインターン制はこれまた難問です。定数外に大量のインターンをかかえ、それを有給にしなければ教職は実にバカげた職種になってしまいます。医師の場合、国が一部補助していますが、多くは各病院で大幅に上積みして研修医給与を出しているようです。そんなことを都道府県でできるでしょうか。

かつ、どの学校に配置し、誰がどうインターンを指導するのでしょうか。よほどしっかりした学校でなければ実質的に資質向上にならないでしょう。最近の大量退職大量採用で各学校の教員構成がいびつになり、少子化で学校が小規模化しているなかで、果たして有意義な研修をできる学校がどれだけあるか。それだけでなく、そもそも教育員会と各学校現場だけで十分に現代の課題に応えられる資質向上が可能なのかどうか。

(今回の国家免許≒インターン制案は、ドイツの国家試験とインターン制に近いのですが、ドイツでも近年、地方行政機関が主となる研修では現代的課題に応えづらいとして改革されつつあるようです。)

また法的には、インターンも何らかの採用(雇用)行為が必要ですが、その場合、インターン終了後不適格だと解雇するなどありえなく、事実上そのまま正式採用になる可能性が高いと言えます。いまも試用期間があるのですが、期間終了後不適格だからと任用しないというのは法律上極めて難しいと言われています。

以上、教員免許の国家試験化・国家免許化についてその難点を縷々述べましたが、政策立案のありかたとして、なぜいまこのようなものが打ち出されてきたのかについて、疑問をもたざるをえません。これを直ちに教師への国家統制が狙いだなどと糾弾したりする気はありませんし、実行本部の案を原文で読むと、それなりに教師への信頼回復とか格上げによる社会的地位の向上の狙いもあるようです。

しかし、責任ある政策としては、あまりにも現実無視です。とくに義務教育が我が国では、学校の設置、教員の任用、研修など基本的に都道府県が行うという制度的仕組みを度外視して論を立てるのには疑問を投げかけざるをえません。それに、最近の教育政策が、ともすれば「ローorノーコスト、ハイパフォーマンス」の傾きがあることに強い懸念をもちます。財源的な裏付けなしに、制度的に無理な改革を謳うだけでは、多くの現場教師はますます展望と元気を失います。

翻って、より現実的で有効な方向は教員の資質に関しても大いにあり、そのためにすでに全国各地でいろいろな実践や試みが行われていることにもっと眼を向けるべきと考えます。政治や政策が行うべきは、そうした実際現場の意欲的な試みに、マクロ的な視野と実際的な支援を差し向けることではないでしょうか。

学校現場を不必要に揺さぶり、萎縮混乱させ、ひいては元気と活力をなくさせるような政策は、ほどほどにしてほしいものです。
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Tag:教育と人間の希望を求めて  comment:0 

教師力アップの現実的な展望

<学校に勤務しながら大学院で学ぶ>

5月22日の読売新聞教職大学院連載の(2)で、福井大教職大学院が紹介されています。

現職の先生方が学校で仕事をしながら、学校を大学院教育の場として学ぶというたいへんユニークで有意義な大学院です。大学の教員がしょっちゅう現職院生がいる学校に出かけて、院生の学校での仕事に即して討論し合います。

校長先生の、「学校の中核を担う教員が現場を離れずに済むので助かる。学び続ける姿勢は他の教員にも刺激になる」という記事中の発言は、まさにその通りと言えます。

かつ、授業料は県教委市教委が半分程度負担し、大学の減免もあって、事実上現職院生の負担はありません。こういう大学院なら、どこでも非常にスムースに現職教員の力量アップが可能になります。

福井大ではこれを「学校拠点方式」と言っていて、今後の教職高度化の有力な方向だと思っています。教職大学院は、来年一気に拡がりますが、その中で福井方式を採り入れるところも出てくるようです。

これに対して、大学関係者は、よく、「ちゃんとした講義が行われなく大学院の教育として疑問」と言いますが、大学の教育を、教室の中で高度な理論を教授するもの、と思い込む伝統的な固定観念に拘った見解だと思います。かつ学部ではなく、高度専門職に関する大学院教育ということを見過ごした見解です。

(1)学校の仕事に即してといっても、それぞれの院生は、自分の研究テーマを大学のスタッフと話し合いながらきちんと立て、これを2年間、実践的に検証し、かつ何度もいろんな場で発表し、最終的に大部の実践研究報告書にまとめます。もちろんその過程で、種々の文献をマスターしなければならないのは当然です。

(2)福井大のこの方式は、中心になっている教育学者が何年にもわたって、ドナルド・ショーンなどの高度専門職としての教師の資質向上の理論を検討し、教育委員会と緊密な話し合いを通して実行し始めたもので、単なる職業訓練的なものとはまったく異なります。

似た方式は、80年代アメリカの一部で始まったPDS(professional Development on School)や、それを継承したイギリスの地区学校での免許取得方式などありますが、いずれも、大学がきちんと関わっていなく、新しい学習指導法などの取組が弱いという弱点が指摘されています(国家免許のドイツのインターン制も同様です)。

(3)教員養成やその高度化・修士レベル化で「実践重視」は大事なのですが、単なる職業訓練的なものに堕さないためには、大学がきちんと関わることが極めて重要なのです。かつ、いつも指摘していることですが、欧米の教員養成では、とくに小学校教員養成では、大学レベルの養成が伝統的に不十分で、その点、日本は戦後いち早く「大学における養成原則」が立てられ、これにより日本の教師の高い質がつくられてきたのです。

大学が関与することの意味は、その「探求的」姿勢の堅持にあります。授業や生徒指導等の学校での実践について、ただあれこれ技術的に腕を磨くだけでなく、自らの実践を「反省的に」振り返り、これを知的探求の課題にし、自立した理論的実践的に高い力量をもつ教師になることをめざすのです。

こうした点から見ると、日本で盛んな民間の各種の研修講座は、それなりに有益ですが、単に個人レベルの個別的な技能の習得に終わりかねない点で、大学主導のシステムに到底置き換えられうるものではありません。

(4)福井では、教職大学院を中心に、長期的な計画のもと、一定期間に県内のすべての小中教師を何らかの形でこうした修士レベルの教育を受けられるようにすることまで検討しています。これは素晴らしい構想です。

何度か福井県教委の方と懇談もしましたが、こうした方向で、大学とがっちりタッグを組んで教師力を上げようとの固い信念が窺えました(教育行政の人達の中にはまだまだ大学不信の強い方が少なくないのですが)。

国家免許化とか国家試験とかいろいろ言われ始めていますが、もともと無理なそうした「改革」の検討に時間を費やすより、いまやる気になればすぐできること、例えばこうした福井方式の教職の高度化を全国で大々的にやるのを国がしっかり応援する方が、よほどリアリティーがあると思っています。

学部新卒教員については、また別な課題がありますが、これも、和歌山県が去年から始めた、大学の全面協力のもとの1年間の研修制度などを広げれば十分有意義であり、国の財政支援があれば、教職大学院が全県設置になる来年度以降現実的に可能です。免許法などは、こうした現実策のもと、必要な改正を思い切ってやればいいのです。

前にも書きましたが、まさに、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」です。あれこれ非現実的な施策に拘っている暇はありません。学校現場での教師の疲弊の解消と力量アップは待ったなしです。

あと数年後来る採用減の時期に向けて、大胆かつ現実的な資質向上策に踏み切るべき時期でしょう。

http://www.yomiuri.co.jp/ky…/renai/20150515-OYT8T50008.html…
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Tag:教育  comment:0 

プロフィール

村山紀昭

Author:村山紀昭
長い間、北海道教育大学で哲学を教え、1999年から私大を含めて10年間学長をつとめました。
退職後、教育と福沢に関する月1回の勉強会「教育人間塾」を続けるとともに、文科省の委員会委員や北海道教育委員会のアドバイザーとして、教育政策とくに教師教育政策に関わってきました。
平成26年4月からはフリーなスタンスで教育や福沢について思索する日々です。
趣味は音楽とオーディオ、クラシックと初期ジャズが好き。

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