スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Tag:スポンサー広告 

(旧稿)中教審「教員の資質能力向上特別部会」の動向と課題

[ 平成25年10月15日、前年8月の教員の資質能力向上に関する中教審答申を受け、その具体化のために1年ほど検討を続けてきた協力者会議が、「大学院段階の教員養成の改革と充実等について」と題する報告書をまとめました。

 筆者は、答申段階から特別部会委員として作成に関わり、その後の協力者会議で主査を務めてきましたが、報告書の発表に当たり、答申作成以来のこの問題に関する筆者の見解を検証する意味を含めて、2012年夏に公刊された日本教育学会特別課題研究委員会研究報告書への寄稿論文(執筆は3月21日)を、学会事務局の了承を得て掲載します。答申段階から何が基本的に継承されたか、何が今回の報告書で新たに展開されたかを読み取っていただければ幸甚です。]

1 はじめに

 2009年9月、政権についた民主党政府は、教育に関して「教員の質と数の充実」を打ち出し、翌2010年6月に「教職生活の全体を通した教員の資質能力の総合的な向上方策について」の諮問が行われ、中央教育審議会(以下中教審)の特別部会で審議が開始された(部会長田村哲夫、委員30人)。

 2010年12月、特別部会は、修士レベル化を基本方向とする「審議経過報告」をとりまとめた。その後、翌2011年7月から、部会内に設けられた基本制度ワーキンググループ(座長横須賀薫宮城教育大学名誉教授、委員8人)で、制度設計に関わる具体的な検討が行われ、2012年3月にその「報告(案)」がまとめられた。今後これを基に、特別部会で、答申に向けた最終的な調整が行われる予定になっている。

 筆者は、特別部会及びワーキンググループの一員として、今後の日本の教師教育に大きな意味を持つであろう本議論に加わっているが、この間その主要論点について自分なりに考えてきたことを、教育政策立案のあり方の視点を含めてまとめておきたい。

2 検討のスタート
 
 今回の諮問に関して、当初メディアが一斉に教員養成6年制化かと報道したせいもあって、部会での議論はその是非から始まった。これに関しては、今後10年間の大量退職・採用の時期に、教職志望者を大幅に少なくする恐れがあるとの指摘が強くあり、早い時期に単純な養成期間の延長論は主流にならなくなった。

 しかし、その議論の過程で、大きく浮かび上がったのは、教育委員会サイドの大学に対する根強い不信感である。

 ある委員は、「大学に教育力はあるのか」「高度な職業的専門性を育てるのは大学でできるのか」
と率直に疑問を呈し、「教員の資質能力向上の第一義的責任を持つのは(任命権者である)教育委員会だ」と発言した。

 部会は、教育委員会関係者、国立の教員養成大学関係者、私大関係者、小中高の校長会等の関係者、その他の有識者などから構成されている。教育委員会関係者、学校現場関係者は大学に対して信頼感を持っていない。私大関係者は、開放制のなし崩しの否定になるのではないかとの疑念を持っている、教員養成大学関係者はとにかく修士化を進めたいといった三すくみ状態がそこにはあった。

 これらは、部会での議論を通してほぼ乗り越えられていったと言えよう。当初大学への不信を表明していた先の委員は、その後「大学と教育委員会が一体となった教員養成というような青写真を描いていかないと、有効な養成ができないのじゃないか」と発言するに至った。

 私見では、こうした部会での議論の深化は、(1)そもそも諮問が、単純な6年制化を前提せず、「養成段階を含めた教職生活の全体を通じて不断に資質能力の向上や専門性の高度化が図られていくようにするための一体的・総合的な取組」という柔軟な方向性を示していたこと、(2)当初から、これから10年ほど大量退職・採用時代が続き、世代間の資質の継承が困難になり教員の質の維持向上が切実な課題であることが共通認識になっていたこと、(3)教育委員会と大学など関係機関の「組織的・継続的な連携・協働のしくみづくり」が検討の基本方向として提起されていたことなどによると思われる。

 しかし、それだけではない。決定的だったのは、厳しい意見のやりとりの中で、大学側が、これまでの大学での養成の不十分さをはっきりと認めたこと、その上で教員の資質能力は、「学校現場においてこそ磨かれる」ことについて共通の理解が得られていったことがあった。さらに、それを補強するものとして、4年前にスタートした全国25大学の教職大学院の実績があった。
 
 これは大きかった。机上の議論でなく、実際に学校を重視した質の高い教員養成の実際の意義について、ほとんどの委員は否定し難かった。

 筆者は、教職大学院の構想時から関与し、設置後はその実施結果審査の委員会委員を務めているが、各地で、これまでになく、実務家教員の派遣、連携協力校などで教育委員会と大学の連携が強まっており、教育内容としても学校課題に即した研究、学校現場での多様な実習と事例研究など意欲的な試みが拡がっていることを実感していた。「教員の資質能力は学校現場でこそ磨かれる」との基本視点と教職大学院の一定の実績の評価——これこそは、その後のワーキンググループの制度設計の中でも貫かれている赤い糸である。

 国の教育政策の立案に関して思うに、欠かせない四つの要素がある。政治的なイニシアチブ、利害関係者の諸利害の調整と当事者責任、政策の実現可能性、それに政策の学問的根拠である。利害関係者や当事者の意識と関与は重要である。また、どんな政策も、状況に振り回され便宜主義的なものであってはならず、系統性と学問的な根拠のあるや無しやも欠かせない。しかし、大きな政策には、財源措置も含めて政治的イニシアチブと実現可能性をニグレクトはできない。今回の資質能力向上とそのための修士レベル化政策は、いまなお、この4者の微妙な緊張関係の中にあると言っていいだろう。

3 資質能力向上の必要性をめぐって

 そもそも一定の政策の立案に当たって、その必要性の議論は避けられない。政策は、当事者の関心、願望によく立脚したものでなかれば切実性を持たないし、実現可能性の大きな部分は、政治的イニシアチブ如何に密接に関わるからである。

 なぜいま教員の資質能力向上が必要なのか。

 私見では、次の二重の視点がある。学校教育現場の実際と、国の教育に関する政治経済のあり方を含めた方向性。
 前者に関しては、前述のように、この10年ほど確実に予想される大量退職・採用時代に、「大量の経験不足の教員と少数の多忙な中堅教員」から学校現場が構成され、世代間の教師の力量の継承が不十分になるという危機感が挙げられる。

 後者に関して、いま日本が未曾有の経済的政治的困難にあり、21世紀を生き抜くための新たな「人材育成像」とそれを担う教員の資質能力観(思考力や知識の活用を育成する「新たな学び」を支える資質能力等)が求められていることは間違いない。

 課題は二重的である。教師としての力量の確実な獲得と新しい教育課題に応えうるそのレベルアップと。

 この両面に関して注意しなければならないのは、教員の資質能力向上が、もはや個人レベルの研鑽の課題としてでなく、日本の教師集団の全体にわたる「構造転換」として求められていることである。

 前者に関しては、世代間アンバランスや学校の小規模化の実態の中で、「同僚性」の欠如についてかなり深い認識が共有されてきた。また後者に関しても、課題は、個々の教師の教育方法に止まらず、学校としての教育成果が地域の中で問われる社会状況をふまえて提起されている。

 日本の教師について、以前から高い研修意欲が国際的にも評価されている。確かに民間の各種の研修への参加など現在も引き続き広く行われている。しかし、問題は、全国に幼小中高、国公私併せて100万人(内、公立小中学校教員約65万人)を超える教師全体の実情である。

 学校現場で、新人教師が先輩教師のサポートの下で確実に力量を付ける状態になっているであろうか。いじめや学級崩壊をまねかず、学級の協働を生かしながら一人ひとりの子どもたちの学力を確実に身につけさせ、知識を活用し考える力を付ける教育が学校全体で行われ、地域や社会の信頼を得るようになっているであろうか。エビデンスの深浅は別として、そう簡単にこれを是とすることはできないだろう。

 資質能力の向上を議論する際によく、それはあくまでも教師個々人の自覚と自発性によるべきだと言われる。この点で、「審議経過報告」が、「教職生活の全体を通じて自発的かつ不断に専門性を高めることを支援する新たな制度」への改革を打ち出していることは貴重である。それを前提とした上で、今回の検討が個々人の努力を超える構造転換を図る制度改革であることの意義を強調しておきたい。制度改革と個人の意欲とを始めから相対立するものととらえることは、議論の出発点を誤らせる。

 なお、求められる資質能力の内容について、ワーキンググループのまとめでは、これまでの中
教審答申から一歩踏み出し、個々の資質能力が「独立に存在するのでなく、相互に関連し合いな
がら形成されること」を重視し、(1)教職に対する責任感、探求力(使命感や責任感、教育的愛
情、自主的に学び続ける力)、(2)専門職としての高度な知識・技能(教科や教職に関する高度な
専門的知識、「新たな学び」を展開できる実践的指導力、教科指導、生徒指導、学級経営等を的確
に実践できる力)、(3)総合的な教師力(豊かな人間性や社会性、コミュニケーション力、他の同
僚とチームで対応する力、地域と連携できる力)を打ち出しているが、これを教職生活全体の中
で、いつどのように順序立てて得られるようにするのかなどの詳細は、今後の課題として残され
ている。それは、政策課題というよりは、特別部会でも必要性が認められている「専門職基準」
とともに、養成教育・研修の現場の中で、専門家によるピアレビューにより果たされるべきもの
であろう。

4 教職の「高度専門職業人」としての位置づけと修士レベル化

 前述の二重の課題を解決するための政策目標は、「高度専門職業人」として教職を「修士レベル化」することである。「審議経過報告」では、「修士レベル化」は、「今後検討を進める」こととされていたのだが、ワーキンググループの具体的な制度検討の上で、「ワーキング報告(案)」では、「改革の方向性」として、「教員養成を修士レベル化し、教員を高度専門職業人として明確に位置付ける」ことがはっきりと謳われた。そして、その制度的な保障として、学部段階の「基礎免許状」、修士レベルの「一般免許状」、中堅の学校リーダーたるべき「専門免許状」への免許制度の改革が明確に打ち出された。併せて、「社会から尊敬・信頼を受け」「学び続ける教師像」の確立も。

 この意味は大きい。今次教員資質能力向上の基本コンセプトと目標が確立されるのである。日本の教員養成は、戦後の「大学における教員養成」政策で、世界に先駆けて学士卒の教員のレベルアップを行ったが、爾来60年余りを経ていま、修士レベルの高度専門職業人の養成へと転換しようとするのである。

 しかしこうした大きな政策目標も、目標として立てられただけでは本来の政策にはならない。目標の実現に向けた周到な制度的・政策的な検討が伴わなければならない。ワーキンググループでの議論の難しさはここにあった。

 ワーキンググループでは、当初から修士レベル化の三つのパターンを詳細に検討した。(1)学部に連続した修士レベルの課程、(2)学部で基礎免許状を取得し、採用直後に初任者研修と連携・融合した修士レベルの課程、(3)採用後一定期間を置いてのち修得する修士レベルの課程である。

 これをめぐる議論は錯綜したが、一定の着地点が定められたのは、どのパターンをとるにせよ、高度専門職業人としての「実践的指導力」の養成を一定期間組み込まなければならないという確認であった。そして、その実質は、経験的に教職大学院の実績の中で積み重ねられていたし、理論的には、状況が違うにせよ欧米の教職に関するプロフェッショナル・スクール的な高度専門職職能開発の試みの蓄積があった。両者とも、理論と実践の往還、実践の中での「省察」を基本的な教育方法としていた。

 さらに、修士レベル化のこうした位置づけに伴い、学部段階の教員養成と一定の区切りをつけることの合理性も確認されていった。そういう構造が設定されれば、先の三つのパターンの違いは、ある意味相対的なものでしかない。つまりいつどこで修士レベル化を図るかの違いでしかない。

 結果として、ワーキンググループ「報告(案)」では、これについて、「それぞれにメリット、デメリットがあり、地域の実情に応じた様々な試行の積み重ねが必要である」との一言にまとめられた。

 これは、一見、方向性の曖昧なまとめに思えるかもしれない。ワーキンググループでも、どれかを基本に設定すべきだとか、基礎免許状取得後7,8年以内に一般免許状取得を義務づけるなどの意見が交わされた。

 確かに、入職7,8年後に一般免許状を法的に義務づけると、一挙に修士レベル化は実現する。しかしそれは、かりに採用後の修士レベル化を想定しても、不可避となる大幅な教員定数増を必須とするし、そもそも3万人に及ぶ新規採用者を受け入れる質の高い修士レベル課程を近々に用意する至難の課題を呼び起こす(教職大学院の入学定員830人、 国立教員養成系教育学研究科の入学定員3,333人、国立一般大学院専修免許状取得者3,000人、同公立350人、同私立3,500人計1万人強、2011年度)。

 さらに、学部教職課程がメインの私学関係は、これでは教員養成の本流から外れることになりかねない。また、義務づけられた修士レベル課程での学修のための授業料負担は重い。これらの難問を度外視して修士レベル化をただ目標とするのでは、現実的な政策にはなりえないのではないか。

 そこで、ワーキンググループ「報告(案)」では、「修士レベル化に向け、修士レベルの課程の質と量の充実、教育委員会と大学との連携・協働による研修の充実等ステップを踏みながら段階的に取組を推進する」とされることとなった。

5 修士レベル化に向けてどういう取組をするか

 「報告(案)」で、「審議経過報告」から大きく展開されているのは、Ⅲの「当面の改善策」である。その内容は、現状の教員養成・研修の大幅な改革を明確に打ち出しており、メッセージ性が強いだけに議論を呼ぶ可能性も孕んでいる。ここでは、今後のさらなる課題提起を含めて、主要な論点について私見を述べることにしたい。

1)修士レベル化の原動力としての教育委員会と大学の連携

 「当面の改善策」の副題は、「学校・教育委員会と大学の連携・協働による高度化」となっている。このことの意味するところは重要である。

 諮問にも、教育委員会と大学など関係機関の「組織的・継続的な連携・協働のしくみづくり」があったが、「報告(案)」ではさらに踏み込んで、「教員になる前の教育は大学、教員になった後の研修は教育委員会という、断絶した役割分担から脱却し、教職生活全体を通じた一体的な改革を構築する」ことを改革の基本的方向としているのである。

 これは、従来繰り返し中教審答申等で謳われてきた教育委員会と大学との連携の一般的強調を超えている。先の、三つのタイプに関する「地域の実情に応じた様々な試行の積み重ねが必要」との見解と重ね合わせると、各都道府県単位に、修士レベル化に向けて、教育委員会と大学が三つのタイプを使い分けながら具体的な検討を進めるように、という呼びかけとも受け止められる。

 確かに、新規採用者数が少ない県では、自らの意志で、新任かつ現職の段階的な修士レベル化をそう遠くなく実現できるであろう。すでに一部では、その方向に向かって、現職大学院生に対して県教委や市教委が授業料を一部負担しているところもある。

 こうした教育委員会と大学との連携について、大学教育が地方教育行政によって左右されがちになるとの懸念を示す向きも大学内にはあるが、カナダ、アメリカなど地方行政と教員養成機関との密着度は、教育行政の地方分権と相俟って元々強力であり、そうした教育の地方分権の方向としては、意義のあることであるとも言える。

 それだけでなく、私見では、今後の修士レベル化の原動力は、まさに教育委員会と大学との連携であり、各都道府県では、できるだけ早期にそれぞれの修士レベル化の構想と計画の協議を開始すべきであろう。

2)国公私を含めた大学連携の重要性

 修士レベル化の現実化の上で決定的なのは、その適切な受け皿の設定である。新規採用者約3万人の壁は厚いし、新人教員だけでなく中堅教師の資質能力向上のためには(つまりは「学び続ける教師像の確立」)、その他の大量の現職教員の修士レベル化も重要であり、道は限りなく遠く思える。

 そこで必要になってくるのは、小中高とも、国公私の違いを超えて実際に行われている大学の教員養成機能をフルに活用することである。確かに、とくに小学校教員については国立の教員養成大学学部の比重はなお大きいが、中学校、高校教員については、すでにそれ以外の一般大学学部が多くを担っていることを無視すべきではない。

 これは、単に量的に受け皿を確保するためというのではない。開放制原則の根本に関わることであり、教職に多様で有為な人材を幅広く求める重要な意義を持っている。

 しかし、国立の教員養成大学学部以外の私大の教育学研究科はまだごく少ないし、一般大学の理学部や文学部などで多く出されている専修免許取得の現状は、教職課程として極めて不十分であり、資質能力向上の修士レベル化においては、学校実習を専修免許所得の教育課程に何らかの形で組み込むなど大幅な改善が不可避である。めざすべき修士レベル化は、何でもいいからとにかく修士の学位を、というものであってはならない。

 となると、一般大学学部が独自にそれぞれ何らかの学校実習の仕組みを作り上げるだけでなく、理論と実践の往還を軸に学校実習による資質能力向上に実績のある教職大学院と連携・連合して修士レベル化をめざすことは、十分有効で現実的な手立てとなりうると考えられる。すでに、7私大と連合した京都教育大学の連合教職大学院があり実績を重ねているが、その発想を超えた大規模な連携・連合が、この機会に追求されてしかるべきであろう。例えば、大規模総合大学の理学研究科、文学研究科などと他大学の教職大学院とが協定を結び、単位互換をするなどの形も考えられていいのではないか。

 さらに、大量の現職教員の修士レベル化については、福井県など一部で、教育委員会と大学との協議で検討されているように、多数の国公私大学が開設している免許更新講習などの法定研修を、教職大学院等への入学の際一部単位として認定することも有効であろう。

3)修士レベル化における教職大学院の役割
 
 ワーキンググループの「報告(案)」は、「教職大学院が修士レベルの教員養成の主たる担い手となっていく」と述べているが、その意味合いを正確に掴んでおく必要がある。前項にあるように、修士レベル化の全体規模を考えると、まずは国公私の既存修士課程を含めた幅広い大学間連携が基本である。その上で教職大学院がとくに重要な役割を果たすというのは、何よりもその理論と実践の往還による実践的指導力育成に関する教育方法の独自性による。かつ、教職大学院は、もともと国公私に開かれた教育機関である。

 その上で、「報告(案)」では、(1)「教職大学院の拡充」(とくに未設置の都道府県での設置の推進)、(2)現行5領域の必修共通科目の見直しと「学校現場での実践に資する教科教育」分野などの新規導入(山梨大教職大学院にはすでに理数科コースがある)、(3)新規設置のハードルになっている実務家教員の割合の柔軟化などが打ち出されている。これらを受けて、各都道府県で実際に新規設置と拡充が促進されるかどうかは、今後の修士レベル化の帰趨を決すると言えるほど重要な課題であろう。

 さらに、とくに国立の教員養成大学学部に対しては、「学校現場で求められている質の高い教員
の養成をその最も重要な使命としていることに鑑みれば、今後、教職大学院を主体とした組織体
制へと移行していくことが求められる」としている。これは関係者の間で大きな議論を呼ぶ提起
であろう。

 その具体的なあり方についてここで触れることはしないが、日本の教員養成の修士レベル化へ
の大きな転換の中で、まさに国立の教員養成大学学部の「使命」として、この課題に背を向ける
ことはできないことに、関係機関、関係者は思いを致さなければならないと思う。かつ、専修免
許と将来の一般免許に関わる一般大学学部との連携など、課題は多岐にわたり、大きな役割を教
職大学院が担わなければ、修士レベル化の構想そのものが成り立たないことに、十分留意すべき
である。

 しかし、これらは制度に関わる実際的な課題であって、より根底には、教職大学院が開拓して
きた理論と実践の往還・融合や省察の意義をどう見るかという大学教育論上、教師教育論上の重
要問題があることをここではとくに強調しておきたい。

 この点で、「報告(案)」が、福井大学などを念頭に、「一部の教職大学院については、学校を大
学院の実習・学修の拠点とする方式により、校内研修と大学院での学びを高度に組み合わせて現
場での課題の解決に当たる試みを行い、成果をあげている」と指摘していることは注目される。

 福井大、山梨大などでは、ストレートマスターは、週3日、フルタイムで特定の連携協力校で
インターンシップを行い、これを1年間続ける。週1日は、大学で大学の担当教員のもとで、そ
れぞれの実践と体験を持ち寄り「カンファレンス」ないしセミナーを行う。中堅の現職教員につ
いては、勤務校でストレートマスターのメンターをやりながら、学校内研修で学校課題に関する
研究テーマを立ててこれを長期間追求する。月1回は大学でストレートマスターと一緒にカンフ
ァレンスに参加する。両者とも修了時点で大部の実践記録報告書を作成する。共通科目のレクチ
ャーは夏休みなどに集中して行う。

 こうした「学校拠点方式」について、学校の勤務に埋没していないかなどの疑念があることは
事実である。私見では、その成否は、カンファレンスなどでの大学教員の学校の実際をふまえた
緻密な指導体制と、学校側が質の高い研修を日常的に目標としているかどうかにあると思う。

 問題の根本は、高度専門職の養成、資質能力向上に、学校現場をベースとした理論と実践の往
還・融合の方式が有効かどうかにある。これを伝統的アカデミズムの意識から、単なる「這いず
り回る経験主義」などと一刀両断にすべきではない。少なくとも、こうした高度専門職独自の教
育方法は、学位課程であるかどうかは別として、アメリカのPDS(Professional Development of
School)などですでに20年以上も実績があることに目を向けるべきであろう。これは、法科大
学院から始まったプロフェッショナルスクールの制度と方法が、日本の教師教育改革の課題の中
で有効性を発揮できるかどうかの問題でもある。

 これは、また、教師教育改革の理論と実践、つまり教科専門と教職及び教育の技能の相互関係
にも関係する。確かに福井大学などの取組は、トライアルの性格を持ち、その実践的なアウトカ
ムの評価及び理論的な根拠づけはこれからの課題である。しかし、実際の物事の進行は、必ずし
も始めに十全な理論と関係者の十分な合意ありきではない。実際的課題に精力的に応えながらこ
れに理論的・学問的根拠づけと展開をつなげていくことこそ重要なのである。その点で、本書の、
教職大学院のカリキュラムなどについての他の諸論稿は、まさにそういう課題に応えるものとし
てあると言える。

 それにしても、課題は、言わば未知の領域に属するものでもある。大学での高度の専門知識の
修得と学校現場での学級づくりなどの具体的な指導法とをどうつなげるか。大学知と現場の経験
知とをどう結びつけるか。その点では、めざすべき高度専門職のための新しい学位課程(修士
及び専門職)のイメージは未だ十分に明示的ではない。ワーキンググループでは、これについて、
引き続き「カリキュラムイメージ」を煮詰めていくことになっている。ここでは、3で取り上げ
た、修士レベル化で求められる資質能力がどのように具体的に達成されるかについて、より分か
りやすいイメージ化が図られるであろう。

 もうひとつ、「報告(案)」は、教職大学院の拡充策と関連し、教科専門の教員について教職大
学院へのよりいっそうの担当を呼びかけているが、これも、当事者自身に問われるチャレンジン
グな課題であることを申し添えておきたい。

4)教職大学院と連携・融合した初任者研修

 「報告(案)」の制度設計で、新たに提起されたのは、修士レベル化の前述の三つのタイプの中で、「採用直後の「一般免許状(仮称)」取得を想定した取組の推進」であり、「教職大学院等と連携・融合した初任者研修の在り方について、教育委員会と大学との連携・協働の取組を進め、初任段階の研修の高度化を図る」としている。これをどう具体化するかは、地域毎の実情をふまえた段階的な修士レベル化の提唱の中で極めて重要である。

 これは、学校づくりと一体に、学校を生き生きとした意欲的な研修・研究の場とする発想からくるものである。そこでは、長期間学校の持ち場を離れることを余儀なくされる、初任1年目の教育センターなどでの校外研修の免除も可能とされている。現行の校外初任者研修は、入職年次毎で世代間継承になりづらい面がある。これを、指導力の高い校長のもと、教職大学院と連携して学校現場で実現しようとするものであり、すでに北海道など一部で開始され始めており注目される。
 
5)学部教職課程の改革
 
 「報告(案)」で、修士レベル化を高度専門職業人養成の基本方向として定めたことにより、学部段階(基礎免許状)と修士レベル(一般免許状)との仕分けと関連づけが明確になった。「学部で基礎的・基本的な知識・技能をしっかりと修得した上で、その土台に立って、大学院レベルで、・・・学校現場における実践とその省察を通じて指導の(高度の)知識・技術を修得する」、と。

 ここで、学部段階の養成について、教職への使命感と教育的愛情の形成をベースとしながら、教員としての基礎的な資質能力として、教科専門の深い習得と探求が当然の前提として位置づけられていることについて十分留意する必要がある。基礎免許状の内容として、明確に、「教科に関する専門的な知識・技能、教職に関する基礎的な知識・技能を保証する」とされているのである。

 教職はどんなに高度化しても、本来的に、他では替えられない「知」に関する専門職であることは忘れられてはならない。教員養成学部の教育課程において、専門教科と教職科目とを併せて教員養成を行っているのは、日本の教員養成の誇るべき伝統でもある。

 その上で、修士レベル化が設定されるからといって、学部教員養成が過去の「教養主義的養成」に先祖返りするとみなすのは見当違いであろう。現今の教職志望の学生の現状をよくふまえ、学校等の教育現場への参加を早期に多様に実施し、学校教育と子どもの実際とを幅広く体験的に理解させるとともに、探求的な姿勢やコミュニケーション力を意識的に育成する手立てが必要である。

 さらに、学部段階で、教科専門と教職、理論と実践とを有機的につなぐ努力は、日本の教員養成大学学部の永続的な課題であろう。この点について、「報告(案)」では、教科専門を「教科の実際に即して包括的に教育すること」、「教科担当教員と教職担当教員とが共同して授業を行うななど教科と教職の架橋を推進する」、「実務経験者について、教職大学院を修了した現職教員等指導者としてふさわしい教育研究実績を有する者の登用を促進する」、としている。

 前者に関しては、教科内容構成学として、岡山大学などで意欲的な取組が進んでいるが、未だ今後の大きな課題として残されていると言わざるをえないだろう。

 修士レベル化を見通した学部教職課程の改善に向けても、国公私を通ずるガイドラインとなるカリキュラムイメージが必要である。

6)多様な人材の教職への参入の促進

 大量退職・採用時代にあって、既存の養成枠組みに止まるのは適切ではない。いまこそ、社会人等多様で高度な人材の教職参入を大いに促進すべきである。これは、これまでも謳われてきたことであるが、免許法上の壁と学校関係者の拒否的反応の中で十分には進んでいない。

 「報告(案)」では、教職大学院等で、教員免許未取得者に2~3年で普通免許状とともに専修
免許状を出すことのできるコースなどを多様に設置すること(すでに兵庫教育大の教職大学院な
どで実績がある)、「理数系の人材や英語力のある人材等多様な人材が教員を目指せる仕組み」(履
修証明制度を用いた特別免許状の活用促進なども想定し、静岡県教委でオーバードクターを対象
に高校教員について新年度から実施予定)が提起されている。

 とくに高校(中学も含められうるが)の専門教科教員については、専門に強い優れた人材を積
極的に登用することができる方策を講ずることは、高校教育の質向上のためにも有効であろう。

6 むすび

 以上、中教審特別部会とその基本制度ワーキンググループの報告に基づいて、おもな論点について私見を述べた。「報告(案)」には5で取り上げた論点以外に、専門免許の具体的内容、現行専修免許取得のあり方の抜本改革、実務家教員の養成などを目的とする博士課程の教育大学院(ED.D)の新設など重要な提言もあるが、紙数の関係で割愛した。

 それにしてもめざすところはまことに大きな課題である。ワーキンググループ報告は、修士レベル化の基本目標を設定するとともに、それに向けての現実的な政策提言として、一歩踏み込んでいる。上述のように、それは十分現実性を持ったものではあるが、それにしても課題の大きさから言うと、事はそう容易に進むものではない。

 では、政策を実現可能にする要素は何であろうか。改めて、2で挙げた、教育政策立案の4つの要因が思い起こされる。

 いまここでそれを総括するなら、まず何よりも、教師と学校関係者などの当事者、教育委員会と教員養成に関わる国公私の大学関係者等が、目的とその実現について意志を共通に固めることが先決であろう。この点では、当の学校教師自身の修士レベル化に関する声が必ずしも強くないことが懸念される。教育委員会だけでなく、教師自身に大学不信が根強いのであろうか。また、個々の教師の授業料などの経済的負担が頭に浮かぶからであろうか。

 しかし、これだけ現実的な政策化が図られても、実現の道は容易ではない。それは、それだけ大きな改革、とくにかなりの財政出動が予想される政策には、政治の適切なイニシアチブが不可欠であるからである。そこは冷厳に見ておかなければならない。

 では、そうした政治のイニシアチブを突破する力はどこにあるか。私見では、やはり迂遠であっても、教師の資質能力向上とそのための修士レベル化についての国民世論の強い支持であろう。それは、また、本政策が目標とする、日本の学校と教師が社会や国民からの「信頼と尊敬」を確かなものにする道でもあるだろう。(了)

(2012年3月21日)
関連記事

Tag:教育  comment:0 

Comment

comment form
(編集・削除用):
管理者にだけ表示を許可
プロフィール

村山紀昭

Author:村山紀昭
長い間、北海道教育大学で哲学を教え、1999年から私大を含めて10年間学長をつとめました。
退職後、教育と福沢に関する月1回の勉強会「教育人間塾」を続けるとともに、文科省の委員会委員や北海道教育委員会のアドバイザーとして、教育政策とくに教師教育政策に関わってきました。
平成26年4月からはフリーなスタンスで教育や福沢について思索する日々です。
趣味は音楽とオーディオ、クラシックと初期ジャズが好き。

最新記事
検索フォーム
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。