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「愚かすぎる国民」?

東北大震災で見事に新たなボランティアスタイルを作って注目していた中堅研究者が、選挙動向に関して「愚かすぎる国民」というコメントをしていて驚き悲しく感じました。

「自民党圧勝した場合、日本に住むリスク自体考えはじめないといけなくなります。少なくとも、愚かすぎる国民と愚劣極まる政治に失望し、家族を守るために、リスク分散を本気で考えるようになる人は一気に増えると思います。」

いくらなんでも「愚かすぎる国民」はないでしょう。

ぼくも政治の難しさや歯がゆさをいつも感じていますが、そのとき、戦前言論でファッシズムと戦い終戦直後獄死した哲学者戸坂潤の「民衆の角度」という言葉と文章を思い起こします。

民衆と国民は愚かではないという視角は、社会科学研究者の矜恃でなければならないと若いときから考えてきました。そこを外すと、民衆から離れた単なる評論の世界になってしまう。

「愚かすぎる国民」など言う前に、人々の生活と意識の深部にあるものを冷静につかみ取る知力が必要です。習い覚えた価値感を振り回すのでなく、生活と意識に深部に生じつつある新たな価値意識の芽生えにこそ目を向けそこから何かポジティブなものを導き出す。

安倍内閣の危うさは確かに感じますが、個々のあれこれをあげつらうだけでは無力でしょう。

アベノミクス、集団的自衛権、秘密保護法、急ピッチの教育改革などの具体論の検討と別に、いまとこれからの日本の「政治風土」の行方を黙想しています。

一言でいえば、民主政権の経験後、日本の政治風土が大きく変わったこと、強いイデオロギー的対立構造を持たない「英米型」の政治状況ーそれを一部内包しているドイツやフランスと違ったーになりつつあるのではないか、そのなかで、7,80年代にヨーロッパで興隆した社会民主主義潮流と異なる「新しいリベラル」のあり方を根本から追求する必要があるかもしれない、など。

いずれにせよ日本国民は、そう無知でも愚かでもない、日々の生活のなかから決して譲れない価値、協同して求めるべき価値を作っていくだろうと強く思います。たとえ願望にすぎなくてもその道を歩みたい。

(2014年12月13日)
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プロフィール

村山紀昭

Author:村山紀昭
長い間、北海道教育大学で哲学を教え、1999年から私大を含めて10年間学長をつとめました。
退職後、教育と福沢に関する月1回の勉強会「教育人間塾」を続けるとともに、文科省の委員会委員や北海道教育委員会のアドバイザーとして、教育政策とくに教師教育政策に関わってきました。
平成26年4月からはフリーなスタンスで教育や福沢について思索する日々です。
趣味は音楽とオーディオ、クラシックと初期ジャズが好き。

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